北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


第85回 1987年7月の岐阜と多治見の写真(2016年8月11日記)

第85回 1987年7月の岐阜と多治見の写真
●第2のふるさと岐阜での妻の写真
 写真を眺めています。妻が立っている岐阜市長良北町交差点を写した1987年7月19日の2枚の写真です。妻とは1985年2月に獄中結婚しました。妻と相談して、私の第2のふるさとの岐阜と実家のある多治見を訪れてもらい写真を撮ってもらうことにしたときの写真です。

 妻は前面に私の拡大した顔写真(裁判所から出る所を撮った写真を利用しました)をプリントした白いTシャツを着ています。私と一緒に岐阜と多治見を訪れるとの気持ちからでした。

 長良北町は私のアパート(正木アパート)から真南方向に700メートル程にありました。スーパーがありコロッケ屋や食堂や喫茶店そして焼肉店などがあって、1970年頃の私の生活の中心の一つだった所です。自転車ですと数分の距離ですのでよく出掛けていました。自炊の食材等も長良北町のスーパーでいつも買っていました。 妻は交差点の北西角に立っています。1枚は金華山が入るように東南方向を撮ったものです。この日の岐阜は雨でしたので、金華山はかなりくもって写っています。通りの建物は新しい建物に変わっているものが多く、私が知っている感じとは大分変わっています。しかし全体として眺めればちゃんと長良北町交差点だと認識できます。時たま利用した市電も写っています。市電は長良北町交差点と岐阜駅前の間を走っていました。当時は緑色ぽい電車でしたが、写真の市電は赤色であり、こちらの方がしゃれた感じがします。

 もう一枚は東方向を撮ったものです。東北角のビルは昔のままでした。当時時々利用してソフトクリーム等を買ったファーストフード店も写っていました。東南角から東にかけての建物は全て新しい建物になっていて、よくコロッケを買った店は無くなっていました。当時はコロッケが1個15円、メンチコロッケが30円だったように思います。真っすぐ東へ700メートル程行きますと、私の大学の長良キャンパスが有ったのですが、この時には既に市の西に位置する黒野という所に移転してしまっていました。

 正木アパートも大学生相手のアパートでしたから、移転にともない無くなってしまいました。もしまだ有れば、私の生活の中心でしたからその前で撮ってもらうつもりでしたので、残念です。妻には長良川の堤防上と岐阜駅前でも撮ってもらいました。17年後ではありますが、妻とふるさとの情景を共有することができてとてもうれしく思っています。写真は私の宝物です。

●多治見の家で家族と妻で撮った写真
 妻はその後多治見へ向かい、父母たちと会い家で夕食を一緒に取りました。同じ7月19日です。父(70歳)、母(63歳)、祖母(母方、83歳)、弟と妻が8畳間で夕食を取りながら歓談している写真が目の前にあります。弟は名古屋に住んでいるのですが、来てくれました。妻は海老フライが好物だと言っていましたので、私から母へ伝えて母が一杯作ってくれました。

 笑顔の幸せそうな父が写っています。とても元気そうです。しかし父は1年後に突然の脳梗塞で他界しました。妻に会わせてあげられて本当によかったと思います。
 妻には私が1日1回は必ず行っていた家のすぐ裏にある神明山でも写真を撮ってもらいました。忠魂碑の前で撮った妻の写真が目の前にあります。きっと蝉しぐれがうるさい程だったでしょう。多治見は雨ではありませんでした。この忠魂碑は日露戦争の多治見出身戦没者の碑です。高さが2.5メートル位、長さが4メートル程もある大きな岩の上に碑はありました。でも私はそんなことは意識せず、子供の頃からよじ登って遊んでいたものでした。高校の夏休みには、周囲の結構高い木々の葉が上部を覆って涼しいのでこの岩の上で勉強をしたことも何度かありました。

 家は古い家で借家でした。母は2013年3月に永眠しましたので、その2年後にこの家は取り壊されてしまい、今では2階建ての白いアパートが建っています。家族の思い出が一杯詰まった大切な家がなくなってしまったのは淋しい限りです。でも写真がありますし、目を閉じれば家族が元気に楽しく暮らしている姿が家とともに甦ってきます。 話変わります。7月28日から連続して夏日ですし、真夏日も4日ありましたが、札幌(札拘)ではまだ蝉の声を聞いていません。6月が記録的な雨量で、日照不足から気温も低かったので、穴蝉の生育が遅れているのでしょうか。一昨年は7月31日から鳴き出しました。平年並みです。しかし昨年は8月13日が最初でした。今年もそうなるのかもしれません。一度も鳴き声を聞けない年も何回かはありました。この文は8月12日午前中に発信します。今は8月11日の昼です。聴けたかどうかを一筆書いて出すつもりです。あっ、今アブラゼミの鳴き声が聴こえてきました。1時半頃です。まだ弱々しい声です。明日からはもっと強い声になることでしょう。蝉の鳴き声を書けてよかったでした。

























2016年8月11日記
大森勝久

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