北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


第83回 ふるさと岐阜(2016年6月14日記)

第83回 ふるさと岐阜

1970年の岐阜
 今回は裁判を離れて書く書くことにしました。私の居室にはA4サイズに拡大された1枚のカラー写真が飾ってあります。長良橋の少し下流、昔の岐阜女子短大があった前辺りの堤防から、長良川と長良橋と金華山を撮った写真です。私の大学の後輩だという方が昨年の夏撮ってくれた写真を、裁判の支援者の友人がA4に拡大して送ってくれたものです。クリアファイルに入れて壁に立て掛けてあり、いつも眺めている写真です。今、長良橋の上流域では鵜飼が毎日行われています。夕方になりますと、ホテル着を羽織った観光客が長良橋を大勢で歩いていることでしょう。私が岐阜で暮らしていた頃(1968年4月〜1972年6月)、よく見かけた光景です。目を閉じると甦ってきます。

 私は大学2年の途中からは長良天神というところでアパート暮らしをしていました。1969年6月頃から1972年の6月末までの3年間です。私が一番思い出すのは1970年の岐阜です。大学3年の年です。Nさんが恋人でいてくれたからです。翌年私は誤ってどんどん過激思想にかぶれていきましたから、彼女は去っていったのでした。社会にいた時、唯一お付き合いをした女性でした。高校3年の時もとても好きな人がいましたが、一言も言葉を交わしたことはありませんでした。でも私にとって大学時代(岐阜市)と高校時代(多治見市)を意味あるもの、懐かしいものにしてくれているのは、そんな2人の存在があるためです。もちろん私の一方的な思いです。妻とは1984年11月に出会い、翌年2月に結婚しました。獄中結婚です。妻の存在が生きる支えになっています。本当に妻に感謝しています。話が岐阜から逸れてしまったので戻します。

 大学の後輩の方がまた先日、私がかつて住んでいた長良天神のアパート近くにある長良天神神社の写真を撮って、支援者を介して送ってくれました。この神社はアパートから7、80メートル程南にあり、私は参道を通って通学していたのでした。参道の写真もありましたが、社門を入った内部の写真もあり、そのひとつに「手洗場」の写真がありました。私は社門の中にも何回か入ったことはありましたが、手洗場があったことは完全に忘れていました。

 写真を数秒間凝視したとき、急に懐かしい記憶が甦りました。「そういえば、まだ望峰寮 にいた頃(大学1年)、寮生5、6人とここで水を飲んだことがあったなあ!」と思い出したのでした。何かの帰り道になんとなく入ってみたのでした。そのメンバーも思い出せました。

 そのときには思い出せなかったのですが、何度も「手洗場」の写真を見つめていたら、3年のときに彼女とも中に入って、参拝はしなかったのですが、ここで水を飲んだことがあったことも思い出したのでした。夏だったか秋だったか、そこまでは分かりませんでした。彼女とは市の中心部にある本願寺西別院や東別院へもよく行ったことがありました。

 私は日々長良天神の正木アパートの自分の部屋を思い出しています。部屋からも金華山が望めました。正木アパートはずーと前に取り壊されて無くなっていますが。

 クリアファイルに入った長良川・長良橋・金華山の写真を見ると、あの頃のことを思い出します、岐阜市は私の第2のふるさとです。

2016年6月14日記
大森勝久



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