北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


大森勝久のコラム欄 第61回〜70回

第61回 2014年夏の出来事(2014年9月6日記)

初めてミンミン蝉の鳴き声を聴きました
 裁判の方は前回(60回コラム)報告したとうりであり、まだ新しい動きはありません。それで、裁判を離れて書くことにします。

 札幌拘置支所は、夏季期間中は外窓が開けられますので、居室にいても外の物音が聞こえてきます。この夏も8月に入ると蝉の鳴き声が聞こえてきました。今はもう蝉は鳴いていませんが。

 8月17日のことですが、私は自分の耳を疑いました。ミンミン蝉の鳴き声が聞こえてきたからです。それまではここでは一度も聞いたことがありませんでしたから、私はミンミン蝉は北海道には生息していないのだと思い込んでいたのです。

 この声を聞いて、2年前の中庭運動時に、職員が捕まえて見せてくれた蝉は、ミンミン蝉だったのだと思ったのでした。当時は、蝉の体がやや緑色をしていたので、「ミンミン蝉のようだが…」と思ったものの、北海道には生息していないと思っていたし、子供の頃にもミンミン蝉はわずか1度しか捕まえたことがなくて自信がなかったため、「謎の蝉」という見方になっていたのです。

 ミンミン蝉の声を聴いたことを職員に話してみたところ、職員もよくは分らなかったのですが、「子供の頃は北海道にはカブト虫はいなかったけど、現在ではいるからね」と言ってました。きっと、ミンミン蝉も気温が上昇しているために本州から北海道へも渡ってきたのでしょう。

 子供の頃、クマゼミは高い木に登って何匹か捕まえたことがありました。ツクツクボウシはもっと多く捕まえました。アブラゼミとニイニイゼミはありふれた蝉なので、価値は低かった蝉でした。一番珍しく価値の高い蝉がミンミン蝉でした。鳴き声は時々聞いていましたし、見上げて姿を見ることもあったけど、捕まえたのは一度だけでした。

 この8月17日以降は、他の蝉も含めて蝉の声は聞いていません。蝉たちは子孫を残して一生を終えたのですね。

●中庭運動時にトノサマバッタを40数年ぶりに見ました。
 8月26日の中庭運動時、職員がバッタを見つけて壁際に追い詰めたので、私も車椅子から降りて10数歩歩いて、バッタを観察しました。50センチ位の近い距離です。そこには懐かしいトノサマバッタの姿がありました。かなり弱っているように見えましたが、7センチ位もある大きなトノサマバッタでした。職員が帽子で捕まえようとしたのですが、うまく逃げられてしまいました。

 私は一昨年までは筋肉障害もなく、ちゃんと歩くことが出来ていましたから、この中庭運動時も昆虫を探してかなり歩き回ったものです。でも、この14年間で1.5センチ位の小さなバッタは見ましたが、大きなバッタは一匹もいませんでした。もちろんトノサマバッタも。きっと、高い塀を飛び越えてこの中庭にやってきたトノサマバッタなのでしょう。来年以降、増えてくれると嬉しいのですが。

 トノサマバッタは、短い草が生えた地面が見える場所に生息しているのです。多治見の家の裏山の運動場横の原っぱにも、トノサマバッタはいました。飛ぶ時の羽の色が青と黄の2色でとてもきれいなので、「バッタの王様」として子供たちの人気を集めていました。もちろん大きいことも理由です。

 私は小学生の頃は、市内のあちこちへ、遠くは多治見市の西の瑞まで昆虫を求めて出掛けていました。そんなことから、トノサマバッタが川向うの多治見北高のグランド横の原っぱには多くいることを知っていました。

 小学校4年か5年の時、そこへ家族揃ってバッタ捕りに出掛けたことがありました(北高横の修道院の庭の蝉捕りも目的でした)。父も童心に帰り、私と一緒になってトノサマバッタを追いかけ何匹も捕まえたものです。私たちは得意になって母に見せてあげたのですが、母は怖がっていて、それも可笑しかったのでした。

 私は中庭でトノサマバッタを見て、遠い日のこんなことを思い出していました。大好きな父と母は、今は私の心の中で生きています。

●夏の日の雨に昔を思い出しました
 真夏日が続いた8月初旬の頃だったかと思いますが、やや強めの雨が降っていたときに、それを眺め雨音を聴いていたら、「今のこのいい気持ちと同じ気持ちになったことが昔にもあったな―」と、懐かしい感情が湧いてきたのでした。それで、私はどういう状況であったのかと思い出したくて、夏の雨の日のことをいろいろ思い起こしてみたのでした。大学時代の岐阜での生活です。

 これだとぴったり合うものはなかったのですが、私は大学3年(1970年)の時、ひとシーズンだけ大学の水泳クラブに入りました。夏休みでしたが、雨が降っている中で一人で泳いでみたいと思って、アパートから学校のプールへ行って泳いだことがありました。鍵の場所は分っていました。誰もいないプールでのびのびと泳いだのですが、爽快感があり幸せな気持ちになったものです。「この時のことなのかなー」とも思いました。

 あるいは場所は定かではないのですが、彼女と雨の中を傘をさして歩いたこともありました。私の正木アパートの近くや長良北町あるいは美江寺公園近辺とかです。彼女は藍色の傘でした。そのときに感じた気持なのかもしれないとも思いました。

 2014年札幌の夏は去りつつあります。良い思い出は決して過去のものではなく、現在そして将来の私の生活の糧になってくれます。


2014年9月6日記
大森勝久

第62回 裁判所は中島鑑定書などの「証拠開示」を命令しなければなりません (2014年10月6日記)

検察官は相当困り、頭を悩ませていることでしょう
 第58回コラムで報告しましたように、弁護人は本年2月6日付けで、裁判所に「証拠開示命令申立書」を提出しました。どんな証拠の開示を求めたかは、第58回コラムに書いてあります。

 裁判所によりますと、検察官は警察から証拠物等関連物件を段ボール○箱分入手して、整理中であるとのことでした(第60回コラム)。しかし、相当な時間が経っていますが、未だに検察官の「意見書」は提出されていません。裁判所は、この「意見書」を見て、「開示命令」を出すか、どうするかを決めることになりますが、刑事訴訟法の趣旨から当然、開示命令を出さなくてはなりません。「意見書」提出の遅れから、検察官は相当に困っていることが容易に想像できます。

日本は「法治国家」ですが・・・・
 「〈法〉の支配」と「法治主義」は全く異なった概念です。日本には「〈法〉の支配」の思想はありませんし、「〈法〉の支配」は全くなされていません。〈法〉とは、古くから伝えられてきた永遠の真理=正義のことであり、〈法〉はすべてのものの上位にあって、政府と国民を支配するものです。政府は〈法〉に支配されて政策を作り、法律を作らなくてはなりません。〈法〉に違反する政策や法律は作ってはならず、そうした法律は、〈法〉に違反した「悪の法律」であり無効です。これが〈法〉の支配であり、この思想は英米系の法思想です。私は〈法〉の支配の思想を強く支持し、主張しています。

 一方の「法治主義」は、行政は法律に基づかなくてはならず、だから法律が政府を支配するのではありますが、悪の法律であっても(つまり〈法〉に違反する法律でも)、それに基づく行政を正しいとする思想です。日本で「法の支配」と言われているものは、この「法治主義」のことです。「法治国家」も、この「法治主義」の国家の意味です。社会主義国家には、この「法治主義」すら微塵もありません。

 さて、犯罪捜査をする警察、検察は、法律に支配されて捜査をしなくてはなりません。証拠の捏造や証拠の偽造は刑法犯罪であり、許されません。裁判も法律(刑事訴訟法)に支配されてなされなくてはなりません。検察官は違法証拠(捏造証拠など)を、証拠請求してはなりません。それは裁判を否定し破壊するものです。裁判官は捏造証拠(虚偽証言とか捏造鑑定書とか捏造証拠物とか捏造証拠書類)だと分れば、証拠から排除しなくてはなりません。捏造証拠だと考えているのに、検察官を助けるために、真正な証拠だと評価して、事実の認定にそれを使うことは決してしてはなりません。そうすることは、刑事訴訟法違反です。裁判官の犯罪です。裁判を自己否定することです。

 しかしながら、「法治国家」の日本ですが、こうした違法捜査や違法裁判はままあるのです。しかも、内部告発されることもありません。これは法治主義、法治国家を自ら否定する行為です。「組織の利益(エゴ)」が、法律に優越してしまっているのです。それは、日本人は自立した個と批判精神が弱く、集団(組織)主義であるということ、政府(国家)に対して従順であるということでもあります。

 そうなっているのは、日本には〈法〉の支配がないからです。「法治国家」(法治主義)では、政府(国家)が「自由に」法律を作るのであり、つまり政府(国家)が最上位の存在なのです。日本人には神もいませんから。こういう時、政府(国家)の機関が「法治主義」を否定し破壊することは、起こりうるのです。私たちはこれを克服して、立派な「法治国家」、なによりも〈法〉の支配が貫ぬかれる国家、国民にしていかなくてはなりません。

●私の裁判においては
 警察と検察は「目撃証言」を捏造しました。警察は「モンタージュ写真」も捏造しました(私の逮捕時の被疑者写真をベースにしてつくりました)。検察は、警察官が作成した目撃証人の供述調書の添付図面のB男をA男に、A男をB男に偽造しました。定年退職後に証人に呼ばれた調書を作成した遠藤元警部は、AとBが逆になってしまっていると、「改ざん」を主張しました。立派な元警察官です。

 警察は、ビニールシート、カーテン地、軍手の化学鑑定をやっていない人物(山平真氏)に、その鑑定をやったことにさせて鑑定書を捏造させました。鑑定の中間報告をした「電話通信用紙」も捏造させました。しかし山平氏は、我々がしっかり分析すれば、鑑定の信用性がなくなるように鑑定書や電話通信用紙を作成し、また証言していきました。山平氏は、定年退職後の第1次再審請求審で証人として証言したときには、実質上、鑑定をやっていない旨を証言したのでした。彼も立派な元吏員です。

 私が火薬の主剤である塩素酸ナトリウム(除草剤として、当時市販されていた)を所持していたとする証拠は、この山平鑑定しかないのですが、それは今や崩壊しているのです。

 警察は爆発現場の証拠物の捜査によって、1976年の5月頃には、時限装置に使われた旅行用時計のリン止めネジ2本が、犯人の元に残ったことを把握していました。それゆえ警察は、私の逮捕当日(1976年8月10日)のアパートの家宅捜索において、捜査員のリーダー里幸夫警部にリン止めネジ1本を持たせて、あたかも私の布団袋の中から「発見」されたかのように、証拠物を捏造したのでした。

 警察は私の存在を直前になるまで把握していませんでした。警察が私に道庁爆破の容疑をかけたのは、私が8月7日にゴミステーションに捨てた投棄物の内容を検分した7日の夕方近くだったのです。私は北海道を離れようとします。このように事態の展開があまりにも急であったために、道警は充分考えることが出来ず、里警部に、時計店で購入した旅行用時計からはずしたドライバー痕の付いていないリン止めネジを渡して、証拠の捏造をさせてしまったわけです。

 その後警察は、犯人は時限装置を作り、安全性をチェックする過程で、何度かリン止めネジをはずしたり締めたりするのだから、ドライバー痕の付いていないきれいなリン止めネジでは、まずいこと、そして捏造したことが判明してしまうことに気づきます。それで8月22日以降に、そのネジにドライバー痕を付けて偽造したか、ドライバー痕が付いた別のリン止めネジを探してきてスリ替えたのでした。このネジが、766番の証拠物になっているリン止めネジです。

 検察官は、8月21日付の中島鑑定書(8月10日に布団袋の中から「発見」したネジを鑑定したもの)を開示せず隠したままです。これが開示されれば、そこには「発見」ネジには目立ったドライバー痕はないといった記述がなされていることが明らかになります。即ち、警察がその後ドライバー痕を付けたか、スリ替えたことが明白になるのです。8月10日の発見が真実ならば、このような証拠物の偽造やスリ替えは断じてしません。する必要がありません。

 私たちは、この8月21日付中島鑑定書他の開示を検察官に求めています。裁判所に、検察官が開示を拒むならば「開示命令」を出すことを要求しているわけです。


 2014年10月6日記
大森勝久


(追記)
 検察官は10月16日付で、「弁護人の本件の証拠開示命令申立ては理由がない」とする2枚の短い意見書を提出しました。

第63回 裁判所が11月13日、検察官に証拠の「開示勧告」をしました (2014年11月15日記)

10月16日付検察官意見書の内容
 検察官は10月16日、「証拠開示命令申立てに対する意見書」を提出しました。「本件開示命令申立ては理由がない」とする2枚の短い意見書です。

 検察官は、第一審訴訟手続きと再審請求審手続きは、「訴訟構造が根本的に異なって」いるから、「公判前整理手続きにおける類型証拠および主張関連証拠の開示制度を、再審請求審に適用ないし準用する余地がないことは明らかである」と主張していました。

 刑事訴訟法には「再審請求制度」が規定されています。誤った裁判(判決)の救済のためです。訴訟の構造が異なっているのは事実ですが、ともに、刑事訴訟法第1条(「目的」)の「事案の真相を明らかにし、刑事法令を適正・・・に適用実現することを目的とする」に支配されているのですから、「根本的に異なっている」のではありません。

 この1条の規定により、公判前整理手続きの開示制度が、再審請求書にも適用されるのは当然過ぎることです。だから、既にいろいろな再審請求審において、適用がなされてきているのです。検察官は、裁判官は刑事訴訟法に違反しているとでも言うつもりなのでしょうか?検察官は「法治主義」を守らなくてはなりません。

「11.13三者協議」において、裁判官が証拠開示を勧告しました
 11月13日、裁判官、弁護人、検察官による「三者協議」がもたれました。その席で裁判官は、検察官に対して以下の証拠の開示を勧告しました。
 1、ねじ発見の際の写真とネガその他関連証拠。
 2、未開示の鑑定書、その他ねじに関する未開示の関連証拠。
 3、布団袋および布団袋に関連する未開示の証拠。
 これらは弁護人が開示を求めた主要な証拠です。「送致目録」に関しては、開示勧告はありませんでした。第62回コラムで述べました8月21日付中島鑑定書は、2となります。

 検察官は、開示勧告があった上記の1、2、3の各 証拠の開示に関して、「年内中に回答する」と述べました。

 検察官はしぶしぶ開示することになるでしょう。


2014年11月15日記
大森勝久

第64回 クリスマスやお正月のこと

謹賀新年

 裁判所が「証拠の開示勧告」をしました。2015年から再審請求審はまた動きだしていくでしょう。

 引き続き本コラムを読んでいただけたら幸いです。



検察官の「回答」と「開示証拠の内容」は1月に書くコラムで報告します
 裁判官から未開示証拠の開示勧告を受けた検察官は、11月13日に「年内中に回答します」と答えていましたが、12月の半ばを過ぎると思われます。検察官は嫌々開示するでしょうが、開示された証拠(鑑定書など)の写しを弁護人に差し入れてもらい、読んで文をまとめますと、12月に書くコラムには間に合わなくなります。ですから、これらは1月執筆のコラムに回すことにいたします。

 そういうことで、今回は裁判を離れて書くことにしました。

クリスマス、お正月のこと
 クリスマスやお正月が近づいてきますと、なんだかワクワクした気分になります。札幌拘置支所でも、クリスマス・イブにはケーキ(ロールケーキらしい)を出してもらえます。パックココアも。25日にトリステーキです。そして12月31日の夕食に、お正月の豪華な折詰めが出ます。北海道では31日に折詰めを食べるのです。楽しみです。年越しそばも出ます。

 1月1日の昼にお雑煮、2日の昼におしるこ、3日の昼にきなこもちが出まして、それぞれ3個の丸もちが出ます。でも12月29日から3日までは毎日、お菓子も出ますので、お腹は一杯になってしまいます。お菓子は残すものも多いのです。ですから、私はおもちもせいぜい1個か1個半食べる位ですが、日本人の文化ですので、お正月のおもちは嬉しいものです。

  クリスマスやお正月のことを考えますと、昔のことも思い出されます。

  子供の頃は、クリスマスには母ではなく父が、トリのもも肉を焼いてくれました。「自分の方がうまく焼ける」が父の口癖でした。父は税理事務所に勤めていましたから、クリスマス・イブには決まって担当するお菓子屋さんからケーキを頂いてきていました。買えば随分高価な3段の大きなケーキでしたので、子供たち3人は大満足でした。

 子供の頃は新しい服は、クリスマスのプレゼントとして買ってもらい、その新しい服を着てお正月(新年)を迎えたものでした。嬉しかったですね。愛する父母には幸せを一杯頂きました。

 大学に入ってからは、1年2年と自分でケーキを買うこともなかったのでした。が、3年(1970年)になって彼女が出来て、彼女がクリスマス・イブにケーキを買って私のアパートに来てくれました。紅茶を入れてケーキを食べてから、2人で街(柳ヶ瀬)へ出て、時々入ったカレー専門店でカツカレーを食べて、その後、前年のクリスマス・イブにも2人で入った洋酒喫茶へ行ったのでした。彼女とは前年の「クリスマス・イブ・ダンスパーティー」で初めて知り合ったのでした。71年のお正月はアパートで彼女とおもちを焼いて食べました。金網は持っていなかったので、このためにスーパーで買いました。

 それからは、クリスマスケーキとは縁のない生活でしたが、1974年苫小牧で暮らしていたときには、近くのお菓子屋でクリスマス・イブに、ショートケーキを何個か買って食べました。翌年7月には札幌へ移りました。2階を間借りしたのですが、大家さん夫妻が「忘年会」に私を呼んでくださって、その日が25日だったでしょうか、ケーキも頂きました。あるいは別々の日だったかもしれません。

 Nさん夫妻は、私の父母と同じ年でしたし、すでに独立してみえた一人息子さんが私と同じ年ということもあり、私に大変良くしてくださいました。76年のお正月にもお雑煮とかあべかわもち、だて巻きとかいろいろ頂きました。おもちは2年ぶりでした。

 私にとって、左翼以外の人との社会での思い出は大事なのです。高校時代は一方的に想いを寄せていた人の思い出、大学時代は第1には、彼女との思い出ということになります。苫小牧時代は、青果・鮮魚店で配達の仕事をしていたので、配達先の寮・クラブ・病院のまかないの女性や栄養士(女性)との短い挨拶、そのひとつ王子クラブにいた母と仔の2匹の犬とのふれ合いが思い出です。でも、クリスマスとお正月の思い出となると、家族以外では限られてきます。


2014年12月1日記
大森勝久

第65回 証拠が開示され「発見ネジ」の捏造が明らかになりました

検察官が未開示証拠21点を開示しました
 昨年2月、弁護人が裁判所に対して、検察官に対して未開示証拠を開示するよう命令を出すよう申立てました。検察官は10月、開示しない旨の意見書を提出したのですが、11月13日の三者協議の席で、裁判官は開示勧告を出しました。検察官は12月26日になって、「証拠開示勧告に対する回答書」を裁判所へ提出して、21点を開示する旨を述べ、やっと1月19日(?)に開示したのでした。私は1月20日、開示証拠のコピーを弁護人から受け取ったのでした。

 昭和51年8月21日付け中島富士雄・本実作成の鑑定書(私はこれを8月21日付け中島鑑定書と表してきました)や、8月26日付け吉村新作成の捜査関係事項照会回答書などが開示されました。布団袋も開示されました。

8月10日に私の布団袋の中から「発見された」というネジは、警察官が外から持ち込んだネジであることが明らかになりました
 「発見ネジ」(766番のネジ)は、吉村新氏(リズム時計益子工場長)の(別の)鑑定書によれば、ネジの頭のドライバー溝にくっきりと傷(ドライバー痕)が3ヶ所に付いています。中島富士雄氏は1審48回公判の中で、8月16日から18日にかけて「発見ネジ」の精密な測定をしたことを述べていたのですが、ドライバー痕については何も言っていませんでした。
 弁護人「どこか特徴が一致しているから(766番のネジと)同じだというようなことは言えないんですか?」
 中島氏「そこになりますと、ちょっとはっきり言えないんですね」(48回公判49頁)
 つまり、中島氏が8月16日から18日にかけて測定した「発見ネジ」には、傷はついていなかったということです。そして検察官も中島氏のこの8月21日付鑑定書を、証拠請求しませんでした。

 開示された8月21日付け中島鑑定書には、「発見ネジ」を精密に測定した数値(小数点以下2ケタまで)と、それを拡大投影機で正確に10倍に拡大した投影図2点が描かれていました。1つは、ネジの頭を正面から投影した図です。当然、ドライバー溝がくっきりと見えます。もう1つは、ドライバー溝が見える位置の真横からの投影図です。しかし、傷はどこにもありません。

 「鑑定事項」の(5)は、「その他参考事項」となっています。もし、ドライバー溝にドライバー痕が3ヶ所についていれば、ネジ(リン止めネジです)を何度も絞めたり取り外した証拠ですから、つまり時限装置の「工作」をしていた証拠ですから、必ず鑑定書に記されます。拡大投影図にも傷が描かれます。が、全く言及されていません。つまり、傷は無かったのです。

 今回開示された、8月26日付けの吉村新氏の「捜査関係事項照会書に対する回答書」(8月26日に測定を行う)には、「発見ネジ」にはドライバー溝に「ドライバキズあり」とちゃんと明記されています。つまり、警察は8月18日以降に、傷がついた別のネジ(リン止めネジ)にスリ替えて、吉村新氏に捜査照会をしたのでした。

 吉村氏は、小数点以下3ケタまで「発見ネジ」の精密測定をして、在庫の4個のリン止めネジと比較しています。リン止めネジは、吉村氏によれば「この部品の加工方法は転造(ヘッダー加工)であるため、部品1個1個のバラツキやロットでのバラツキが出る。これはこの加工法の特色である」のです。つまり、全く同じにはならず、微細なバラツキが生じるのです。5個のネジの測定値はみんな微妙に異なっていました。警察はこの点に無知であり、リン止めネジは全て同じ寸法だと思い込んだのです。そして、スリ替えの証拠を残すことになりました。

 「発見ネジ」が同じ物であれば、中島氏の測定値と吉村氏の測定値は同じになります。小数点以下2ケタまでは一致します。しかし、両者の値は、明確に異なっているのです。以下です。
 ・ネジ頭の直径は中島氏が3.85ミリ、吉村氏は3.890ミリです。
 ・ネジの長さは中島氏が3.3ミリ、吉村氏は3.177ミリです。
 ・ネジ頭のドライバー溝の幅は中島氏が0.55ミリ、吉村氏は0.60ミリです。
 ・ネジの軸(ネジ部分)の直径は中島氏が1.88ミリ、吉村氏は1.95ミリです。
 すなわち、警察は傷がついているネジにスリ替えたということです。

 「布団袋の中から発見された」というのが真実であれば、スリ替えることは決してしません。「発見ネジ」は捏造されたものだということが証明されたのです。

2015年1月20日記
大森勝久

第66回 慌てて「発見リン止めネジ」を捏造し、その後に捏造が明らかにならないようにネジをスリ替えた道警

開示証拠によって証明された「発見リン止めネジ」のスリ替え
 私は第65回コラムで、証拠開示された8月21日付け中島富士雄鑑定書(8月16日から18日に実施)と、8月26日付け吉村新作成の捜査関係事項照会回答書(8月26日に実施)の内容を比較して、8月10日に私の布団袋の中から「発見された」というリン止めネジは、ドライバー溝のドライバー痕の有無と、ネジの寸法の違いから、中島氏が検査したネジと吉村氏が検査したネジは全く別物であること。つまり警察が、中島氏の検査後に(より正確には鑑定書作成後に)、ドライバー痕のある別のネジにスリ替えて、それを吉村氏に検査させたことを証明しました。これは科学ですから、スリ替えの事実は100パーセント確実です。

 スリ替えの事実は、8月10日に布団袋の中から「発見した」ということも虚偽であることを意味します。警察は外部からリン止めネジを隠し持ちこんで、あたかも私の布団袋の中から発見されたかのように演出したのでした。本当に発見されたのであれば、スリ替える必要性がありません。

事態の進展が急過ぎてミスを犯した道警
 8月21日付け中島鑑定書と1審48回中島証言(第65回コラム)により、「発見リン止めネジ」にはドライバー痕が付いていませんでした。ネジを布団袋の中に紛れ込ませて「発見」を装った里幸夫警部も、1審46回公判で「まあこれに固有の特徴というのはないと思いますけれども」(51、52頁)と答え、ネジに傷がついていないことを証言していました。つまり道警の幹部は、急きょ時計店でシチズンのトラベルウォッチを買い、リン止めネジをはずして、その傷の付いていないネジを里警部に持たせて「発見」を捏造させてしまったのです。それは以下に述べるように、事態が急展開したために時間の余裕がなく、よく考えることができなかったためです。

 警察は1976年3月2日の事件発生から1、2ヶ月のうちに、捜査によって、本件の時限装置(シチズンのトラベルウォッチ。製造はリズム工業)は、リン(裏ぶた)を止めるリン止めネジ(マイナスネジ)2本の代わりに、ケース止めネジ(プラス・マイナス兼用ネジ)2本が使われていて、犯人の元にリン止めネジ2本が残ったこと。リン止めネジはリズム時計の独自規格のネジで、他社では使われていないこと。またリン止めネジ以外には使用していないことを把握していました。

 しかし、道警は私の存在は7月になるまで全くつかんでいませんでした。しかも岐阜県警からの通報で知ったのです。岐阜県内で7月2日の夜に「可児町事件」が起こりました。私の友人が夜、山の中を歩いていてパトカーに職務質問を受けたのです。交番へ連れて行かれたのですが、彼は大きな荷物を置いて逃走しました。中身が爆発物に関係する材料等であったため、岐阜県警は彼を「毒物劇物取締法違反容疑」で全国指名手配しました。岐阜県警は彼の友人に私がいることをつかみ、7月16日に道警に「大森は彼の立ち回り先である。両者は友人同志である」旨を通報したのです。

 道警が私を「彼の立ち回り先」として、内偵を始めたのは7月20日からでした。私は7月22日から姿を隠して、東京へ行っていました。私が自宅(大家の2階を間借り)に戻ったのは8月6日です。私は6日夜から物を投棄しました。6日夜に山中に捨てた物は、8日の午後に発見押収されました。私が8月7日に市内のゴミステーション等に投棄したものを押収して、内容物を検分した道警は、7日の夕方になって初めて私に道庁爆破の容疑をかけたのでした。私は8日の昼過ぎには質屋に行き、アパートを引きはらうのでテレビなどを買ってもらえないかと尋ねています。警察は尾行してきてそれを知ります。私は9日昼前には東区役所で転出手続きをしましたが、警察もついてきて把握しています。

 道警が逮捕状請求の準備を開始するのは、8日の夜からです。「総合捜査報告書」は9日の昼ごろに出来上がります。道警が札幌簡易裁判所に、「爆発物取締罰則第3条違反容疑」で逮捕状を請求したのは8月10日の昼過ぎでした。そこには「被疑者は爆発物製造器具である消火器、セメント、乾電池、豆電球等を所持していた」と書かれてありますが、このような条文はありません。つまり、道警は法律にない「犯罪」で私を8月10日午後3時21分に苫小牧のフェリーターミナルで逮捕したのでした。それも逮捕状の緊急執行でした。私は10日午後1時17分にアパートを出て車で苫小牧へ向かいました。警察は4台ほどの車で尾行してきましたが、逮捕状はギリギリになって発布されたため、彼らは逮捕状を持っていませんでした。フェリーターミナルに着いて電話で本部に逮捕状の内容を聞いて、私に告げて逮捕したのでした。

 以上のように、事態の進展が急であったために、道警の幹部(石原警視ら)はよく考えることが出来ず(逮捕状の「犯罪事実」も前記のように誤った)、慌ててトラベルウォッチを購入してドライバー痕がついていないリン止めネジを里警部に持たせて、「発見」を捏造させてしまったわけです。道警の幹部は、私を逮捕し起訴させるにはこの証拠捏造が必要だと考えたのです。

道警がその後にネジをスリ替えた理由
 時限装置の工作は、先ず時計本体をケース止めネジをはずして時計ケースからはずします。次にリン止めネジをはずしてリン(裏ぶた)をはずして、リード線を内部の下板止めネジにくくりつけたり、あげバネがおりた所にリード線をつけた電極を設置したりするのです。そしてリンをかぶせてリン止めネジで絞めます。時計からはリード線が2本出てますので、もう時計はケースに取りつけません。だからケース止めネジはもう使いません。本件の爆発物にも時計ケースはありませんでした。

 時限装置の工作は上のことで終了するのではありません。爆発物は持ち運ばなくてはなりませんから、時限装置を実際に持って歩き振動を与えて、結線がゆるんでこないか、設置した電極の接着剤がゆるんできていないかを何度か確認しなくてはなりません。時間経過後の変化もチェックしなくてはなりません。あげバネが下りたときに電極にしっかりと接触するかも、何度か見てチェックする必要があります。そのため、何度もリンの内部を観察しなくてはなりませんから、リン止めネジを何度もはずしたり絞めたりすることになるのです。

 当然、リン止めネジのドライバー溝にはドライバー痕が付くことになります。本件の場合、リン止めネジの代わりにケース止めネジが使われているのは、上のような工作によってリン止めネジのドライバー溝がつぶれてきて、十分絞めることができなくなってきたので、ケース止めネジでも代用できることがわかって使用したものと思われます。リン止めネジはマイナスネジ、ケース止めネジはプラス・マイナス兼用ネジであり、すぐに区別がつきます。だから犯人が、最初からケース止めネジでリンを止めるとはおよそ考えられません。つまり、犯人の元に残った2本のリン止めネジは、ドライバー溝にかなり傷が付いているネジになるのです。

 道警の幹部はその後にこのことに気付きます。放置すれば、「発見ネジ」が捏造されたものであることが判ってしまうために、傷が付いたネジにスリ替えていったのです。証拠捏造は、言うまでもなく刑法犯罪であり、公正な裁判を否定する犯罪です。


2015年2月14日記
大森勝久

第67回 私の主張の一部は失当でしたので取下げます

第65回コラムの主張
 私は第65回コラムで、私の逮捕当日の家宅捜索で布団袋の中から「発見された」とされたリン止めネジは、中島富士雄氏(道警吏員)がネジの精密測定を実施(8月16日から18日にかけて)し鑑定書を作成(8月21日)した後に、ドライバー溝にドライバー傷が付いている別のネジに、スリ替えられたことを明らかにしました。その根拠として以下のことを主張したのでした。
 
 @証拠になっている766番の「発見リン止めネジ」は、吉村新氏(リズム時計益子工場長)の別の鑑定書(9月13日付け鑑定書)と証言によって、ドライバー溝にドライバー傷(ドライバー痕)がくっきりと3ヶ所に付いています。
 Aしかし中島富士雄氏は1審48回公判で「発見ネジ」について、ドライバー痕のようなものはついてない旨を証言していました。そして今回、裁判所の開示勧告によって検察官が開示した8月21日付け中島富士雄鑑定書にも、ドライバー痕があるということは一切書かれていませんでした。
 B同様に開示勧告によって今回開示された、吉村新氏の8月26日付け「捜査関係事項照会書に対する回答書」には、ドライバー溝に「ドライバキズあり」と明記されています。

 以上で、中島鑑定書(8月21日)の後に、ドライバー痕のついたネジにスル替えられ、その別のネジが「発見ネジ」として吉村新氏に捜査照会されて、吉村氏による8月26日付け「回答書」が作成されたことが明らかです。

 ここまではいいのです。次のCが失当でした。
 C 同じ「発見ネジ」であれば、寸法が等しくなりますが、中島鑑定書と吉村回答書(8月26日)では次のように異なっています。それをスリ替えのもうひとつの根拠としたのですが、後に書くように失当でした。
 ・ネジの頭の直径は中島氏3.85ミリ。吉村氏3.890ミリ。
 ・ネジの長さは中島氏3.3ミリ。吉村氏3.177ミリ。
 ・ドライバー溝の幅は中島氏0.55ミリ。吉村氏0.60ミリ。
 ・ネジの軸の直径は中島氏1.88ミリ。吉村氏1.95ミリ。
 吉村氏は「回答書」で、リン止めネジの加工法は転造(ヘッダー加工)であるため、1個1個の寸法のバラツキが出るのが特色であると書いていました。それで私は、警察はネジは全て同じだと思い込み、分らないと考えスリ替えた。だけど未開示証拠の開示勧告によって、寸法の違いが判明してしまうことになった、と喜んだのでした。

「寸法の違い」をスリ替えの根拠にしたのは失当でしたので、お詫びし取り下げます
 弁護士とやり取りをしていて、吉村氏の9月13日付け鑑定書にも「発見リン止めネジ」の測定結果を記した表が添付されているけど、これが8月26日付け回答書の数値と微妙に異なっているのです、と指摘を受けたのです。

 私の記憶では、9月13日付け鑑定書(1審で証拠採用)には添付資料はなかったのでした。だからこれを参照することなく、第65回コラムは書いたのでした。改めてこの鑑定書をチェックしてみました。やはり添付資料はありませんでした。それで長い本文を読み返してみました。そしたら、測定した「検定検査結果通知表」というものを添付すると書かれてありました。改めて証拠綴りのその前後辺りを探してみたら、有りました!綴り方がまずかったのでした(反省です)。

 道警捜査員は8月26日に捜査照会回答書を作成してもらい、一旦「発見ネジ」を持って札幌へ戻ります。そして再び、9月8日付けの鑑定嘱託書と「発見ネジ」を持参して益子工場へ向かい、吉村氏に9月13日付け鑑定書を作ってもらったのでした。

 9月13日付け鑑定書の「検査結果通知表」にあった「発見ネジの」測定値を以下に記します。前記の吉村氏8月26日付け「回答書」の測定値と比べてみてください。
 ・ネジの頭の直径は3.905ミリ。
 ・ネジの長さは3.250ミリ。
 ・ドライバー溝の幅は0.564ミリ。
 ・ネジの軸の直径は1.920ミリ。
 
 このように「発見ネジ」が8月26日と9月13日で測定値が異なっているのでした。ふたつは測定者(吉村氏の部下)が違っていますが、2人とも専門家です。測定値が微妙に違ってくるのは(差は小数点以下2桁のレベルです)、測定器マイクロメーター等の精度の限界もあるでしょうし、ネジが転造(ヘッダー加工)で造られているために、例えばネジの頭も完全な円形にはならず、測る所によって直径が微妙に違っているためでしょう。他の3つの測定箇所の差にも同じことが言えます。

 従って、私が中島氏の測定値と吉村氏の8月26日付け「回答書」の測定値が異なっている(差は8月26日と9月13日の差と大差なし)ことをもって、スリ替えの根拠にしたのは失当でした。お詫びし、この部分は取り下げます。
 
 スリ替えの根拠は、ドライバー傷(ドライバー痕)が無かったネジが、有るものになったことです。


2015年3月13日記
大森勝久

第68回 捏造された「発見リン止めネジ」の写真はコピー写真に差し替えられ、ネガフィルムは処分されていました

●「発見リン止めネジ」の写真は実物ではなくコピー写真に差し替えられていました
 1976年8月10日、里幸夫警部をトップとする7人の捜査員は私の元居室の家宅捜索と差押えを行いました。私は同日午後1時過ぎに、大家さんに見送られて苫小牧へ向って出発しています。そして苫小牧フェリーターミナル待合室において、3時21分に逮捕されたのでした。

 元居室の捜索と差押えメンバーの1人の佐藤修一巡査は、写真撮影を担当しました。彼は白黒用とカラー用の2台のカメラを持って、50枚ほどの白黒写真と18枚のカラー写真を撮っています。白黒写真の中から35枚を里警部が選んで、里幸夫名義の8月10日付の「検証差押え調書」(出来上がったのは翌11日)に添付しています。白黒写真には「発見ネジ」は写っていません。

 カラー写真は当時、現像は道警では出来なくて民間会社に発注しました。当時は大分時間がかかりました。18枚のカラー写真のうち2枚は失敗で、残り16枚の中から里警部が14枚を選び、佐藤修一氏が8月28日付け「写真撮影報告書」(1審で証拠採用)を作成しました。全14枚で全てカラー写真です。その中のbWとbXの写真が布団袋の中から「発見」されたという(里警部が外部から持ち込んで「発見」を捏造した)「リン止めネジ」の写真です。

 第2次再審を請求するに際して、弁護団は札幌地検が保管している証拠を閲覧したのですが、8月28日付けの佐藤氏の「写真撮影報告書」もチェックしました。その時に、12枚のカラー写真は実物でしたが、bWとbXの発見リン止めネジの2枚の写真はコピー写真であることに気付きました。私はそれを聞いて、「ドライバー痕」の有無が判然としないようにするための工作だと直感しました。

●8月28日付け「写真撮影報告書」のネガフィルムも処分されてしまって存在していませんでした
 弁護団は昨年の2月6日、裁判所に対して、未開示証拠の開示命令を検察官に対して出すよう要請しました。その中には、「リン止めネジ発見」に係る里幸夫の「検証差押え調書」および佐藤修一の「写真撮影報告書」の添付写真のネガフィルムやその他の写真のネガフィルムも含まれていました。

 検察官は裁判所の開示勧告(11月13日)を受けて、それらを開示すると回答しました(2014年12月16日)。2015年1月16日に布団袋が開示され、弁護団は写真に撮りました。また開示された調書類はコピーをしました。3月5日には、開示された写真のネガフィルムのスキャン作業を行いました。その時、弁護団は、佐藤修一の「写真撮影報告書」のネガフィルムがないことがわかったため、検察官と裁判官に、「一部不足があるので、再度の確認・開示を要請する」という「要請書」(3月30日付け)を出したのでした。その前に電話にて検察官に要請。検察官から3月31日付けの回答書が届き、「そのネガフィルムは存在していなかった」と書かれてあったのです。

 佐藤修一氏はbWとbXの「発見リン止めネジ」のカラー写真も実物のものを使用して、「写真撮影報告書」(8月28日付け)を作成したのですが、その後、bWとbXの2枚をコピー写真に差し替えて、検察庁へ送った人物がいるということです。その人物は、「ドライバー傷の付いていないリン止めネジではヤバイ」と気付いて、傷のついた別のネジにスリ替えた幹部ということになります。石原警視です。コピー写真に差し替えれば、やや不鮮明になり、ネジのドライバー溝のドライバー傷の有無が判然としなくなるからです。

 佐藤氏は1審46回公判で、「写真撮影報告書」のネガフィルムは爆弾捜査本部の庶務課に保管されていると証言していました (31頁) 。石原警視は念を入れて、「写真撮影報告書」の全てのネガフィルムも処分してしまったということになります。「写真撮影報告書」以外の他の写真のネガフィルムは今回ちゃんと開示されているのです。

 今回開示された8月21日付けの中島富士夫雄氏の「鑑定書」(発見ネジの精密測定をした)には、ドライバー傷について一切書かれていないこと、氏は48回証言でもドライバー傷について、無いという意味の証言をしていたことと合わせて考えれば、石原警視が「bW、bXに実物写真を使えば、ドライバー傷が付いてないじゃないかと気付かれてしまうかもしれず、そうなると傷のあるリン止めネジ(これが766番の「発見ネジ」になっている)にスリ替えたことがバレてしまう。そうすれば、「発見」自体が捏造だと分かってしまう」と考えて、コピー写真に差し替えて、さらに念を入れてネガフィルムも処分してしまったという結論が導き出されます。


2015年4月5日記
大森勝久

【お詫びと訂正】
 私は本コラムで、8月28日付け佐藤氏の「写真撮影報告書」のbWとbXの写真はコピー写真に差し替えられていたと書きましたが、そうではありませんでした。弁護人と私との連絡がうまくいかず、間違ってしまったのでした。ちゃんと現物写真が添付されています。お詫びして訂正いたします。

2015年7月6日記
大森勝久

第69回 警察が行った証拠捏造(「発見ネジ」)をごまかすための演技の捜査

8月21日付け鑑定書を作成した中島富士雄氏は「ネジ発見」は完全に疑わしいと認識していました
 北海道警察は、北海道庁の現場で収集した爆発物の時限装置(トラベルウォッチ)の分析により、シチズンのトラベルウォッチ「ツーリスト024」であり、ネジの使われ方はリン止めネジ2本の代わりにケース止めネジ2本が使用されていたことから、工作した犯人の元にリン止めネジ2本が残されたこと。シチズンのトラベルウォッチはリズム時計で製造しており、リン止めネジは全てのトラベルウォッチ(何十種類もある)で共通している(同一規格)こと、また他社とは異なっている独自規格であることを、事件(1976年3月2日)から間もなく、すなわち同年の3月か4月には把握していました。 

 現場物の時限装置の検査や鑑定をしたのは、刑事部犯罪科学研究所吏員の中島富士雄氏です。中島氏は第1審48回公判で前記のことを証言しました。彼は当時シチズンのツーリスト024とあと2種類ほどのシチズンのトラベルウォッチを実際に購入し、また他メーカーのトラベルウォッチも購入して調べています。

 実は、道警の幹部(石原警視ら)は、中島氏にこれらのことは証言しないように暗に言ったのです。しかし中島氏は事実を証言していったのでした。中島氏は、8月10日私の居室から発見されたとされるリン止めネジが、完全に疑わしいこと(捏造物)に気付いていたといって間違いありません。中島氏がそう認識したのは、以下に書く石原啓次警視(爆弾捜査本部の捜査の事実上の責任者)が行った、「発見ネジ」(捏造物)をもっともらしく印象付けるための演技の捜査がなされたからです。

「発見ネジ」が真正なものならば次のような捜査になります
 石原警視と高山警部からリン止めネジ1個を渡された里警部は、8月10日(火曜日)午後の私の元居室の家宅捜索・差押えにおいて、布団袋の中にそのネジを紛れ込ませて、「発見押収」を捏造しました。私が札幌市内に投棄した物は、8月7日、8月8日、8月9日、8月10日(午前中)に、尾行をしていた警察がそれぞれ押収しています。道警は日曜日返上で大輪車で活動していました。里警部も8月10日、徹夜して家宅捜索・差押えの「検証差押え調書」を作成しています。

 「ネジ発見」がもし真実であれば、爆弾捜査本部(石原氏ら)は8月10日付けで中島氏に鑑定嘱託をすることになります。中島氏は既にシチズンのトラベルウォッチを3個位は所有しています。そのシチズンのリン止めネジと発見ネジを比較させて、シチズンのリン止めネジかどうかの鑑定をさせることになります。8月10日のうちに鑑定結果は出ます。ごく簡単な鑑定です。形状を比較し、寸法を測り比較すればいいだけです。だが、石原警視はこの捜査をしなかったのです。させなかったのでした。

道警が行った演技の捜査
 (1)今回証拠開示された8月21日付け中島氏鑑定書(正確には中島氏と本実氏の共同鑑定書。中島氏は物理、本氏は化学。化学担当の鑑定資料と鑑定事項もあるためです)によれば、鑑定嘱託日は8月10日ではなく8月13日です。鑑定資料は私の居室で里警部が8月10日に押収したネジなど5点です。しかも鑑定資料の「発見ネジ」等は13日には中島氏らに提供されていないのです。ネジ等が提供されるのはなんと8月16日なのです。なによりも、「鑑定事項(2)」は、前記した道警が捜査で得た成果を完全に否定したもの、つまり知らないふりをしたものになっているのです。この点については第70回コラムでより詳しく書くことにします。中島氏らは8月16日から18日にかけて鑑定を行いました。

 (2)石原氏は「発見ネジ」について、「8月15日になって、何に使われるネジかを捜査させるため市内の聞込みをさせた」と証言したのでした。8月15日、西川警部をキャップとする鶴原警部補と谷内警部補の3人が「発見ネジ」を持参して、市内の徳永時計店へ聞き込みに行っています。だからこの捜査が終わるまでは、中島氏にはネジは提供されなかったわけです。
 徳永時計店の専務が警察が持参したネジを店のトラベルウォッチにはめてみたところ、シチズンの2種類の時計のリン止めネジとピッタリ合ったので、道警はリン止めネジ1個を借りています。またリン止めネジはリズム時計で製造していることを教えられています。ここでこの日の捜査は終えました。持参したネジは爆弾捜査本部に返しています。西川警部は8月15日付けの「追跡捜査結果報告書」を作成しています。今回証拠開示された証拠です。

 (3)鶴原警部補ともう1人が8月16日、徳永時計店で借りたリン止めネジを持参してリズム時計札幌支店へ赴きます。しかし休業のため、翌17日に改めて訪問して、支店長とたまたま居合わせたリズム時計本社の販売部長に徳永で借りたネジを見せると、リズム時計で作っているトラベルウォッチのリン止めネジと同一のものだと思うと言われます。また59種類のトラベルウォッチのリン止めネジは同一規格だと告げられています。鶴原氏は、支店長からリン止めネジ1個を任意提出してもらっています。本社販売部長から、リン止めネジはリズム時計の益子工場(栃木県)で作っているので、そこで精密検査をすれば、同一であることが確かめられますとも言われています。この日の捜査はここで終了。鶴原氏は8月17日付けの「追跡捜査結果報告書」を作成しています。今回開示されたものです。

 (4)爆弾捜査本部は、8月17日にリズム時計札幌支店で任意提出をうけたリン止めネジ1個を鑑定資料とする鑑定嘱託を、8月17日付けで犯罪科学研究所の中島氏に対して行っています。鑑定事項は、このネジは8月13日付けで鑑定嘱託したネジ(発見ネジ)と一致しないか。一致するとすればその形状・用途等です。中島氏はこの鑑定を8月18日に着手して同日に終了しています。鑑定書は8月21日付けで作成されています。この鑑定書も今回開示されたものです。中島氏単独のものです。(1)のものも8月21日付けの鑑定書です。2通あるということです。

 中島氏はこの(1)と(4)の鑑定嘱託で、8月10日に「発見押収」されたというリン止めネジは完全に怪しい(捏造物だ)と直感したはずです。(1)に加えて(4)ですから、中島氏がそう考えるのは当然です。「ネジ発見」が真実ならば、そのネジを中島氏が既に持っているリン止めネジと比較すればよく、(4)の鑑定嘱託は不要です。そして中島氏は、捏造の「発見押収ネジ」を本当に発見押収したネジであるかのように印象付けるために、演技の捜査がなされているという認識を持ったはずです。 
 (2)の時計店への聞き込みや、(3)のリズム時計札幌支店への聞き込みは、既に3月4月段階で終えている捜査です。シチズンの全てのトラベルウォッチのリン止めネジは同一規格であり、かつ他メーカーのものとは異なっていることは、爆弾捜査本部から中島氏へも3月4月で伝えられています。だから中島氏は48回公判で前記のように証言できたのです。

 (5)鶴原警部補が、8月24日付けの「捜査関係事項照会書」と「添付のネジ」(発見押収ネジ。ただし、これは傷が付いたネジにスリ替えられたものです)を持って、24日札幌を発ちます。氏は8月25日午後1時10分頃に東京にあるリズム時計本社の販売部長宅を訪ねて、「照会書」とネジを示し、酷似していると言われ、8月26日に栃木県にあるリズム時計益子工場へ赴き、吉村工場長に「照会書」とネジを示して検査をしてもらっています。吉村氏は8月26日付の「捜査関係事項に対する回答書」(「ドライバーキズあり」とあるもの)を作成します。鶴原氏は同「回答書」を受けとって、8月27日午後1時40分頃に、リズム時計から委託されてリン止めネジを製造している東京の三進鋲螺へ赴いた後、8月28日に札幌へ戻っています。鶴原氏は8月28日付けの「追跡捜査結果報告書」を作成しています。今回開示されたものです。鶴原氏は1審47回公判で、8月15日から後述の9月13日の吉村新氏の鑑定書までの捜査を証言していました。

 (6)吉村新リズム時計益子工場長が、8月26日付け「回答書」を作成します。今回開示されました。

 (7)爆弾捜査本部は8月28日付けで、中島氏に鑑定嘱託を行います。中島氏は28日に実施し8月29日付けで鑑定書を作成しました。これは1審で証拠調べされたものです。中島氏は、「発見ネジ」(スリ替えられたもの)を提供されないままにこの鑑定書を作成させられています。

 (8)爆弾捜査本部は9月8日付けで、益子工場長の吉村新氏に正式の鑑定嘱託をします。鶴原氏が鑑定嘱託書と「発見ネジ」を持参して益子工場へ赴き、9月9日から9月13日で鑑定がなされて、9月13日付けの鑑定書が作成されました。これは1審で証拠調べされたものです。

 以上は、「ネジ発見」をもっともらしくするための演技の捜査です。長くなりましたので、第70回コラムでまた書いていくことにします。


2015年5月6日記
大森勝久

第70回 「発見ネジ」捏造をカムフラージュするための8月13日付鑑定嘱託の鑑定事項と8月21日付け中島富士雄鑑定書

「発見押収リン止めネジ」を捏造した不安が、一ヶ月以上に及ぶ演技の捜査を行わせました
 私は前回第69回コラムで、道警が行った証拠捏造(「発見押収ネジ」)をごまかすための演技の捜査(1)から(8)について書きました。その続きとして本コラムを書いていきます。第69回コラムを読まれてない方はご一読ください。

 「発見押収ネジ」(8月10日)が本当であれば、道警は第69回コラムの3項目の(7)に書きました8月28日付鑑定嘱託を、8月10日付で実行しています。8月10日か11日には鑑定は終了します。その次に、第3者にも鑑定をしてもらうということで、(8)に書きましたリズム時計益子工場長の吉村新氏に鑑定嘱託をしています。9月8日付の嘱託ではなく、8月15日頃となります。(1)から(6)に書いた捜査はしません。

 リズム時計では59種類のトラベルウォッチを作っているが、リン止めネジは全て同一規格であること、またリズム時計がリン止めネジ製造を委託している会社は、他社へは販売していないこと、他社のトラベルウォッチのリン止めネジはリズム時計のリン止めネジとは異なっていることの捜査は、3月4月段階で終了しています。その捜査報告書もその時点で作成されていますから、道警はそれを証拠書類として検察庁へ提出すればいいだけです。

 道警の石原啓次警視(捜査主任官・警備課長のナンバー1の幕僚であり、実質的な捜査主任官です)が(7)と(8)の捜査ではなく、(1)から(8)までの捜査をさせたのは、ネジを捏造したからです。(7)と(8)だけの捜査では、道警がリン止めネジを捏造したのではないかと疑われると不安を抱いたからです。

 そのため、石原警視は3月4月時点で得ていた捜査成果を伏せて(隠す)、つまり犯人の元にリン止めネジ2本が残されたという事実を隠し、知らないふりをして、また石原警視はリン止めネジの形状も熟知しているのですが、それも知らないふりをして、「何のネジだろうか?」という初歩的なところから捜査を開始していったという演技をしたのでした。

8月13日付鑑定嘱託の鑑定事項とそれを受けた8月21日付鑑定書の内容
 8月13日付鑑定嘱託の「鑑定事項(2)」は次の内容でした。「資料(1)については、製品名、用途等および昭和50年7月19日発生道警本部庁舎内爆破事件ならびに昭和51年3月2日発生、北海道庁庁舎内爆破事件現場から採取した遺留品に類似した物件がなかったか」。資料(1)とは発見押収ネジです。

 しかし石原氏は資料(1)(発見押収ネジ)などを中島氏にすぐ渡していません。石原氏は「8月15日になって、何に使われるネジかを捜査させるため、市内の聞き込みをさせた」と証言しています。実際3名の警察官が発見押収ネジを持って聞き込みに行きました。8月15日の捜査が終わった後の16日に、資料(1)(ネジ)などの鑑定資料は中島氏に提供されたのでした。

 中島氏は8月16日から18日にかけて鑑定を実施し、8月21日付鑑定書を作成しました。彼は「鑑定経過」として次のように書いています。「資料(1)について。ア、資料は黄銅色非鉄金属製のすりわり付丸平頭小ネジ1本であるが、その大きさは下図に示すとおりである(以下小ネジという)」(10倍に拡大した投影図と寸法は省略します。大森)、「資料の小ネジは、形状、寸法がリズム時計工業KK製シチズン・トラベルウォッチ各種類のリン止めネジとほぼ一致する」「イ、道警本部庁舎内爆破事件及び北海道庁庁舎内爆破事件において採取された資料のうち、道警本部庁舎内爆破事件資料にはネジ部は変形しているが頭部の形状、寸法が資料のネジと酷似するものが1本のみ認められる(負傷者より摘出採取)」。彼は「鑑定結果」として、「資料(1)はリズム時計工業KKシチズン・トラベルウォッチ各機種のリン止めネジと形状・寸法が一致する」と記しています。

 爆弾捜査本部(石原氏)は、道警事件ではリン止めネジが1本、リン柱に入った状態で発見されたことは既に知っています。もう1つのリン柱は未発見であり、そこに入っているネジがリン止めネジ(マイナスネジ)か互換性のあるケース止めネジ(プラス・マイナスネジ)かは不明です。石原氏は道庁事件では、リン柱が2つ発見されてそこにはケース止めネジが使用されており、リン止めネジは1本も採取されず、つまり犯人の元に2本が残されたことを熟知していました。もちろんリン止めネジの形状・寸法も分っていました。が、知らないふりをして上記の訳のわからない「鑑定事項(2)」を書いたわけす。

 この鑑定事項を見て戸惑ったのは中島氏です。中島氏は石原氏に、既にこういうところまで判明していますがと説明し、道庁事件では犯人の元にリン止めネジ2本が残されたことを「鑑定経過」に書いていいかどうか確かめたはずです。石原氏は理由は言わずに、そこには触れずに鑑定事項のことだけに限定して作成してもらいたいと言い渡したはずなのです。

 なお「鑑定事項(5)」は、「その他参考事項」となっています。中島氏はこの点については一切何も書いていません。もし資料(1)(発見押収リン止めネジ)のドライバー溝にドライバー傷が付いていれば、それは何度も絞めたりはずした痕跡であり重要な意味を持ちますから、必ず「ドライバー溝にドライバー傷あり」と書かれます。また、10倍の拡大投影図のドライバー溝の所に、ここにドライバー傷ありと説明文がつけられます。中島氏がその部分の傷の有無をしっかりと確認したことは言うまでもないことです。

8月28日付鑑定嘱託の鑑定事項と中島8月29日付鑑定書の内容
 この鑑定の資料は資料(1)として、道庁事件の現場から採取したトラベルウォッチの部品等の一切。資料(2)は、大森の元居室から差押したビス1点です。このビスは8月13日付鑑定嘱託→8月21日付け鑑定書に提供されたビスではありません。スリ替えられたドライバー溝に傷が付いているビスです。鑑定事項は「(1)、資料(1)の破損の概要。(2)、資料(1)のビスと思われるものの本数及び使用個数ならびに同種ビスの認定等。(3)、資料(1)の中にリン止めビス(ネジ)と認められるものの発見の有無ならびにリン止めビス部に使用したと認めるビスの状況。(4)、資料(2)のネジは本来資料(1)のどの部分に使用されるものであるか。(5)、その他参考となるべき事項」です。中島氏は8月28日に着手し同日に終了しています。

 中島氏は48回公判で、「このとき現場の資料(1)も実際には手元に来ていませんし、資料(2)も来ていません。これらの鑑定事項のうち、1つ目と2つ目と3つ目は既に3月4月段階で終えている鑑定です。4つ目は8月中旬に既に行った鑑定です。5つ目もすでにやったものです。それらを形式的に8月29日付鑑定書としてまとめ直しただけです」旨を証言しました。だから中島氏はスリ替えられた傷がついている発見押収ネジは見せられてません。

 中島氏は「鑑定経過」と「鑑定結果」で、(1)については、資料(1)は原形のないほど破損されたシチズン・トラベルウォッチ「ツーリスト024」の部品47点である。(2)については、資料(1)の中には4本の小ネジがあり、2本はリン柱に、他の2本は文字板受足にねじ込まれている。これら4本は前記時計のケース止めネジ2本および下板止めネジ3本と形状、寸法が一致する。4本とも同規格のネジ。(3)については、資料(1)の中には本来のリン止めネジ(すりわり付丸平頭のネジで、他の部位のネジとは頭部の形状が異なる)は1本もない。リン柱には他の部品のネジが流用されている。(4)については、リン止めネジとして用いられるものである。(5)については、資料(1)の文字板受足にねじ込まれているネジの1本にはリード線様のものがまきつけられ接着剤とみられるもので固定されている、と書いたのでした。(3)の意味は、ケース止めネジ(プラス・マイナスネジ)2本が2本のリン止めネジ(マイナスネジ)に流用されているのであるから、犯人の元には2本のリン止めネジが残されたということです。

 繰り返します。「発見押収」が真実であれば、石原氏は8月10日付けでこの8月28日付鑑定嘱託を中島氏にしたのですが、自らが捏造を命じているため不安に思い、演技の捜査をさせることになったのでした。そのことが逆に、発見ネジが捏造されたものであることを物語っています。それらの演技の捜査は「発見ネジ捏造」の状況証拠です。


大森勝久
2015年6月7日記




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 北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)