●8月10日私の居室の家宅捜索を2時間も遅らせて実施した道警
(1)里警部は8月10日午後1時すぎ、道警本部で、高山警部から大家N氏宅の2階の私の居室の「検証と捜索差押え」を指示されています。2時頃には班員もその他の準備も整いましたが、里警部ら7人がN氏宅に到着するのは、3時30分すぎでした。私は3時21分に苫小牧で逮捕されましたが、里警部らはN氏宅到着後も、すぐに捜索を開始したのではなかったのです。約50分経過した4時18分になって、やっと開始したのでした。
(2)警察は8月8日からは、堂々と私の尾行をしていました。私の方から彼らを問い詰めたためです。警察は8日には、私が引っ越すことを知りましたし、9日には、区役所で転出届をしたことも現認しています。フェリーのチケットは尾行をまいて9日に入手しましたが。
私は8月10日、車検に出して車がない大家のご主人を車で会社へ送ってあげ、その後荷物を整理するなどした後、スーツケースとボストンバッグと炊事用具等を車に積み込み、奥さんに見送られて午後1時17分にN氏宅を出発しています。警察は一部始終を見ていました。すぐに車4、5台で追尾してきました。私は真っすぐ苫小牧へ向かいました。
(3)警察は私がN氏宅を引きはらったことも、札幌市を抜け恵庭市、千歳市へと向かい、もうN氏宅へ戻らないことは判るのですから、班員の準備が整った2時頃に、N氏宅へ向かわせて家宅捜索をさせてもいいはずです。N氏宅へは10分で着きます。
しかし彼らが道警を出発したのは、逆算して、私が逮捕された3時21分頃になります。私は3時01分に苫小牧のフェリーターミナルに着き、乗船待ちで並んでいた3時17分に任意同行を求められて、3時21分にターミナルの待合室で逮捕されました。こうした情報は、無線で道警本部に詰める高山警部に伝えられます。そして里警部は、高山警部の指示で3時21分頃に出発したわけです。
(4)里警部はN氏宅に着くと、すぐに捜索を始めたのではなく、N氏の電話を借りて道警本部の高山警部に電話を入れ、更に4時少し前にも電話を入れています。開始してもいいか等の指示をあおいでいるのです。その理由は後述しますが、結局彼らは、4時18分から奥さんを立会人にして捜索を開始します。そしてご主人が帰宅する少し前の、5時ちょっと前に、布団袋の中からリン止めネジ1本を「発見」することになるわけです。ご主人は奥さんからの電話で、会社が終わるとすぐに飛んで帰宅したのでした。5時を少し回った頃でした。
(5)里警部は捜索差押えを終えると、道警本部に戻り、徹夜をして「検証調書」の作成に取りかかり、8月11日の夜が明けた頃に完成させています。このように急ぐ捜査であったにもかかわらず、道警(高山警部―里警部)は、わざわざ2時間も遅らせて家宅捜索を始めていったのでした。それには、ちゃんと理由がありました。その点を次に書きます。
●車(苫小牧)の捜索差押え状況を聞いてから、居室の捜索差押えを開始しようとした道警
(1)里警部の証言(1審46回、47回公判)を引用しましょう。弁護人に、N氏宅に着いてから捜索開始まで50分近くも時間がかかった理由を尋ねられた答えです。「やはり今ここに着いたということで警備課のほうに電話連絡して、大森の逮捕と、あるいは逮捕の現場(苫小牧フェリーターミナル)における(車の)捜索差押えの状況について、情報を聞きながら、いつごろから開始しようかということで、(高山警部と)連絡しながらやりましたんで、そういう時間も若干入っております」(1審46回公判)。
弁護人が、そうすると道警本部を出発する際、あるいは出発前に具体的に捜索、検証の開始は、更に指示を受けて開始せよと指示を受けていたのですかと問うと、里警部は「そうですね。現場(N氏宅)へ着いたら、現場から電話を入れてくれという指示を受けてやってます」(同)と述べました。
弁護人が「情報を聞きながらというんだけれども、具体的に誰からどんな情報を聞いたんですか」(47回公判)と質問すると、彼は「高山警部に連絡をとって、もうやってもいいんだろうか ということで、当然大森を逮捕する、あるいは逮捕した場合は、(車の)捜索をやるということは知っておりましたので、もうやったんだろうかというような状況を聞きながら、(N氏方の大森の居室の捜索差押えの)開始の時刻を判断したと、こういう意味です」(47回公判)と証言したのでした。
(2)私の居室の捜索差押えが、私の車の捜索差押えと全く独立した捜査であるのは自明のことです。だから2時に出発して、2時10分から開始すればいいものです。しかし高山警部・里警部は、苫小牧における車の捜索差押えの状況を聞いてから、居室の捜索差押えを開始しようとしていたわけです。賢明な読者の方は、里警部がリン止めネジを捏造しようとしているからこその行動だ、と理解されたことでしょう。
石原警視と高山警部は、里警部にリン止めネジ2本を渡して、大森の居室のどこか適切な場所に紛れ込ませるよう指示しました。しかしもしも、私の車の荷物の中からリン止めネジが2本あるいは1本出てきたら、里氏が2本を捏造したら合計4本や3本になり、おかしなことになってしまいます。だからこそ、車の捜索差押え状況を聞いてから、実施しようと考えたのです。
(3)石原警視は8月10日午後1時頃に、木村警部を呼んで、大森の車の検証捜索差押えを指示しています(1審91回公判)。木村警部は2時30分に道警本部を出発したのでした。高速道路を使う予定だったので、3時40分頃にはフェリーターミナルに着き、車の捜索差押えをするはずだったのです。それで里警部はN氏宅に着くとすぐに電話を入れ、また4時前にもう1回、高山警部に電話を入れたのでした。ところが木村警部は、予定を変更してしまい、フェリー ターミナルには午後5時に到着したのでした(1審60回公判)。木村警部は証拠の捏造には関わっていません。木村警部は、無線が付いていない車を使ったのでした。
(4)道警としては、木村警部による車の捜索差押えをいつまでも待ち続けることはできません。大家のご主人も5時ちょっと過ぎには帰宅して立ち合いをすることになれば、捏造が難しくなるからですし、そもそも3時30分すぎに奥さんに会ってから、開始までに1時間半以上も経ってしまえば、それ自体が怪しまれる行動になるからです。また居室を捜索する時間も確保しなくてはなりません。開始して、すぐ「発見」したのでは、やはり怪しまれてしまいます。それで、4時18分から開始して、5時ちょっと前に、リン止めネジ1本を[発見」したことにしたのでした。
道警の居室捜索の態様の異常さこそは、「発見リン止めネジ」が捏造物であることの明白な状況証拠なのです。
2012年3月15日
大森勝久
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