北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


即時抗告申立書(2007年3月22日)

即時抗告申立書(2007年3月22日)
上記請求人にかかる札幌地方裁判所平成14年(た)第23号再審請求事件につき、札幌地方裁判所刑事第1部が、平成19年3月19日付で行った棄却決定に対し、以下の通り即時抗告を申し立てる。


平成19年3月22日

請求人 大 森 勝 久  

札幌高等裁判所  殿
  

目 次 (「目次」の頁数は裁判所宛文書のものであって本文書の頁数ではありません。  大森)  

 第一 申立の趣旨・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1頁

 第二 申立の理由・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1頁

  1,原決定は私の主張を黙殺していて無効である・・・・・・・・・・・・・1頁

 2,山平新証言の証拠価値を否定した原決定は意図的で誤り・・・・・・・・4頁

 3,高山捜査報告書によって新・原通信用紙の不存在は明白である・・・8頁
  
 4,竹之内鑑定(再弁17,18)でも山平鑑定の不存在は明らか・・・・11頁

 5,写真撮影報告書で山平鑑定の不存在は明らか・・・・・・・・・・・・13頁

  6,32点は指紋検出が先であり山平鑑定の不存在は明らか・・・・・・・14頁

 7,原通信用紙(検173)は偽造である・・・・・・・・・・・・・・・17頁

 8,鑑定資料番号が付いていなければ鑑定を実施できない・・・頁

 9,微量のNaClと微量のKClO3の混和物でも同じ反応になるとの山平旧証言について・・・・・・・・・・・・・・20頁

 10,再審理由の存在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21頁




  記
 
 第一  申立の趣旨

1, 原決定を取消す。
 
2, 請求人にかかる札幌地方裁判所昭和51年(わ)第772事件(札幌地裁昭和58年3月29日判決。札幌高裁昭和63年1月21日判決。最高裁平成6年7月15日判決)につき、再審を開始するとの決定を求める。

 第二  申立の理由

 1, 原決定は私の主張を黙殺していて無効である

 (1) 原決定は私の主張については一切検討していない。私の平成18年10月30日付意見書、同11月30日付意見書、平成19年1月18日付意見書等の主張は、弁護人の主張と重なるものもあるが、多くが独自の論理で展開されている。山平真氏は捜査段階、確定審段階においても、表面的には鑑定を実施したという立場をとりつつも、本質的には「山平鑑定の不存在」を(間接的に)明らかにするべく行動してきた人物であるという主張である。再審請求審でも、山平鑑定の不存在を明らかにするために自主的に新証言を展開していったと私は主張したのであった。山平鑑定書、原通信用紙も「不存在」の証拠であると主張した。

  もちろんそういう主張の他にも、弁護人が主張していない重要な事実も多く述べている。

 (2) 再審請求の主体は、第一には請求人本人である。請求人である私が直接上記の意見書を提出したのに、その主張を全く検討することなく、黙殺して、棄却決定を下したのが原決定である。従って原決定は、基本的な条件を満たしておらず、欠陥決定であり無効である。私の主張は枝葉なものではない。鑑定人自らが鑑定の信用性を否定しその不存在を主張していることが証拠によって証明されている、という核心の主張である。そうした主張を黙殺して棄却した原決定は、裁判史上前代未聞であろう。

 (3) 札幌地裁が良心に従って裁判して、棄却だと信じているのであれば、私の主張についても正々堂々と批判することが出来た筈だ。論破することが困難だと認識したからこそ黙殺して逃げたのである。

  札幌地裁は本心においては棄却だとは思っていない。逆に、山平新証言、竹之内鑑定(再弁17,18)、新通信用紙(再弁28)、写真撮影報告書(再弁2,3)等の新証拠と、山平旧証言、山平鑑定書、原通信用紙、高山捜査報告書、指紋検出照合報告書(検698)、石原啓次証言等の旧証拠の再評価と総合評価によって、山平鑑定が虚偽であり、不存在であること、従って本件爆発物の製造の間接事実は推認できなくなったこと、確定判決の有罪認定に合理的疑いが生じることになった、と本心では認識しているのである。もちろん435条1号と2号の理由が存在することになったとも認識している。優秀な頭脳の持ち主である裁判官であるから、このことは明らかである。

 (4) だが彼らは再審開始決定を出すのではなく、私の主張は全く黙殺した上で棄却決定を下したのであった。その動機は自明である。確定判決を守ることで裁判所という組織を防衛し、もって自己の保身と栄達を図ることである。私益や組織益のために法的正義が踏みにじられたのであった。

 (5) 原決定が良心や本心に基づいてなされているのではないことは、それ以外の棄却理由が非論理的であることでも鮮明である。

2, 山平新証言の証拠価値を否定した原決定は意図的で誤り

  (1) 原決定は、「山平新証言は、上記のほかにも後記(12)のとおり、少なからず旧証言と食い違いが認められたが、新証言が本件鑑定から約28年経過後に実施されたことなどの事情に鑑みれば、記憶の変容による変遷として理解できるところである。と同時に、山平新証言がこのようなものである以上、新証言には、山平鑑定〔水溶液分析〕の存否の判断に当たって、直接の根拠になりうるような証拠価値はないというべきである。」(39頁)、「上記のような供述の変遷から、山平旧証言の信用性が動揺し、ひいては山平鑑定〔水溶液分析〕の存在に疑いが生じるともいえない。」(82頁)と判示した。

 (2) 原決定は「時間の経過に伴う記憶の変容、混乱」(82頁)による証言の変遷だと結論づけているが、なんというナンセンスさであろうか。このナンセンスさに原決定の「苦しい理由付け」が現れている。すなわち札幌地裁は本心では上記のようには考えていないのである。山平旧証言の信用性は否定され、山平鑑定の不存在が明らかになったと本心では考えている。普通の良識有る人であれば、論理の必然としてこう考える。人並み以上の頭脳を有する裁判官であるから、このように考えたことは明らかである。だが、それをそのまま表明すれば、確定判決を覆すことになってしまうから、できない。そのために前記したナンセンスな理由付けとなったのである。以下でそのことを証明しよう。

 (3)@鑑定は自分の身についた手法を用いて行う。山平氏は昭和43年7月に科研の技術吏員になっており、51年8月の鑑定までには、自分の鑑定手法は十二分に確立している。

  Aしかも鑑定書を作成する。コピーは科研に保存される。鑑定の記憶はこれによって十分定着する。原通信用紙のコピーも保存された。

  B本件で、山平氏が鑑定したのは1回だけであり、混同することはない。

  C山平氏は平成16年9月の証人尋問の前に、道警本部に呼ばれて(平成14年11月頃であろう)、いろいろ聞かれている。道警は山平氏から説明を受けて平成14年11月29日の「濃縮予備実験」を実施したのである。山平氏はこの際に道警から鑑定書のコピーを示されたことは間違いないし、原通信用紙のコピーも同様である。そして、1,2審の公判証言についても間違いなく示されたことだろう。検察庁で閲覧しメモしてきて、山平氏に示す。これによって山平氏は十分に記憶を喚起し、定着させることが出来た筈である。

  D山平氏は検察庁にも2回呼ばれている。一回目は「濃縮予備実験」をするためであるから平成14年11月頃だろう。2回目は平成16年9月である(山平新証言調書90頁)。これらの機会にも山平氏は検察庁から山平鑑定書、原通信用紙、そして新通信用紙(同153頁)を示されたし、1,2審証言のポイントも示されたことは間違いない。当時の記憶は十分喚起されているのである。

  E山平氏は新証言において、昭和53年4月には道警本部から函館方面本部に移っているのに、道警本部科研の研究員のこと、間取りのことも明確に証言している。山平氏に当時の記憶がちゃんとあることが確かに見てとれるのであった。

 (4) 以上@からEにより、もしも山平氏が8月8日に鑑定を実施していれば、山平氏は新証言においても旧証言とほぼ同じ内容の証言をすることになるのが当然の帰結である。

  しかしながら原決定も認めている如く、ほとんどの部分で旧証言と相反する新証言になったのであった。この事実によって、山平氏が8月8日ビニールシート、カーテン等の鑑定を実施していないことが証明されたのである。これは論理学的に明白である。

  警察の「濃縮予備実験」の溶液量が、新証言の20mlという低いレベルではなく、基本的に旧証言に従っていることでわかるように、山平氏はその時には敢えてそうした説明をしていたのである。それは警察、検察をも欺いて法廷に臨むためであったといえよう。妨害されないようにするためである。

  山平氏は法廷においては20mlと証言していった。ここから、山平氏は自らの1,2審証言(事実認定されたもの)の信用性を否定する目的をもって新証言を展開していったことが鮮明に浮かび上がってくる。

  山平氏は8月8日に鑑定は行っていない。山平氏は事実認定されてしまった山平鑑定の信用性を否定し、山平鑑定の不存在を明らかにするために新証言を行っていったのである。事実認定されてしまった旧証言とことごとく相反する新証言をしていった目的は、これである。

 (5) 私は前記の意見書でこの真実を明らかにした。それだけでなく、旧証拠を再評価して、私は山平氏が旧証言においても一方では、山平鑑定の信用性を喪失させて、山平鑑定の不存在を明らかにする証言を一貫して展開してきたことも鮮明にした。山平鑑定書(700番)、原通信用紙は捏造物であるのだが、山平氏は捏造物であることがちゃんと判るように巧妙にそれらを作成してきたことも意見書で明白にした。これは真実である。

 (6) 優秀な頭脳を持っている裁判官たちは、頭では当然のこととしてこの真実を理解したことは間違いないのである。だが、それをそのまま文字化することは出来ない。組織益と保身と栄達という私益に反してしまうからだ。

  かといって、私の主張を論破する論理も出てこない。だから完全に黙殺することにしたのであった。そして「証言の変遷」を「時間の経過に伴う記憶の変容、混乱」のためだという非科学的、非論理的な理由付けで“正当化”して、山平新証言の証拠価値を否定していったのであった。札幌地裁は自らが嘘をついていることを自覚しているのである。権力犯罪である。

 (7) 補足しておくことがある。原決定は、「時間の経過に伴う記憶の変容、混乱があることはむしろ当然のことである。従って、山平旧証言に沿う部分やその不足を補う新たな証言について、山平旧証言を直接補強するような証拠価値があるとはいえないが、逆に上記のような供述の変遷から、山平旧証言の信用性が動揺し、ひいては山平鑑定〔水溶液分析〕の存在に疑いが生じるともいえない。」(82頁)と述べている。

  もしそうであれば、原裁判所はなぜ山平氏の証人尋問を認めたのか。無意味なことになってしまう。

  つまり、原裁判所は、はじめは82頁に引用したようなことは全く考えていなかったのである。竹之内鑑定という新証拠の出現によって、確定判決が覆ってしまうおそれを抱いた原裁判所は、山平氏の証人尋問を認めれば、検察官や警察がうまく働きかけて、蒸発皿を用いて濃縮はしていったという証言を引き出すであろうと考え、それで竹之内鑑定はクリアできると考えて証人尋問を認めたのであろう。

  ところが山平氏が旧証言とことごとく相反する新証言をして、はずれてしまい、そればかりか大ピンチになってしまったのである。そこで考え出した主張が82頁や(1)で引用した39頁の主張なのである。

  39頁や82頁の判示は、あとからつくりだした「ため」にするものであることは、山平氏を28年後に証人として認めたことではっきりしている。


3, 高山捜査報告書によって新・原通信用紙の不存在は明白である

 (1) 「綱かごから塩素酸イオンが検出(高山報告書)」について

  @「綱かごから塩素酸イオンが検出された」と8月8日に中間報告した人物は誰もいない。

  A新通信用紙は8月8日午後3時0分に高山が受信したことになっている。高山名の押印がある。「鑑定結果」は「敷物、布、軍手から塩素酸イオンが検出された」であり、「別紙」の「ザル」「青ビニール製ザル」の欄は「ClO3−」となっている。

  Bこの@Aより、Aがもし真正なものであるならば、高山捜査報告書(8月8日夜から書き始めた)には、決して「綱かごから塩素酸イオンが検出された」と記載されることはあり得ない。原決定は「必ずしも、高山がそれを手元に置いて参照しながら報告書を作成するとは限らず、高山もそのような供述はしていないのであって、弁護人の上記主張は採用できない。」(50頁)と判示しているが、まるで検察官のようだ。しかも悪質の検察官だ。

  新通信用紙の内容は極めて簡単なものであり、たとえ参照しながら報告書を作成したのではないとしても、頭に入っており、絶対に間違って「綱かご」を書いてしまうことはあり得ない。ふっと判らなくなったときには、新通信用紙をいちべつすれば済む。

  C新通信用紙が本当に存在していれば、8月10日の逮捕状請求の際、高山捜査報告書とともに一緒にそれのコピーも裁判官へ提出されることになる。そのためにも、報告書と新通信用紙がそごしていないようにチェックをすることになるから、断じて報告書に「綱かごから塩素酸イオンが検出された」と記載されることはあり得ない。

  D以上から出てくる結論はひとつしかない。新通信用紙は8月8日の時点で存在していなかったということである。後日、捏造されたのである。従って原通信用紙も8月8日には存在していなかったのだから、8月8日の山平鑑定は不存在なのである。当該高山証言は虚偽なのである。

 (2) 高山捜査報告書の敷物、カーテン地にナトリウムイオン、カリウムイオンの記載がないことについて

  @新通信用紙の「敷物、布」欄には「ClO3+」の他に「Na+」と「K−」の記載がある。つまり除草剤付着の反応である。

  Aところが高山捜査報告書には、「綱かご、軍手、敷物、カーテン地からは塩素酸イオンが検出」と記載されているだけで、陽イオンの記載がない。

  B私たちは、この矛盾から、新通信用紙は8月8日には存在していなかったことが証明されると主張した。それはすなわち原通信用紙も存在せず、山平鑑定は不存在だということである。

  Cところが原決定は、高山は分析化学の専門家ではないから、ナトリウムイオン、カリウムイオンの検査結果の意味を正しく理解せず、塩素酸イオンがそこから出たということは、除草剤をそこで使っていただろうという結びつきになっていると、誤解したものとして理解できる(51頁)と判示して、私たちの主張を退けた。「ため」にする判示である。

  D原決定は、私の平成19年1月18日付意見書の第2の4の(1)の主張を批判できないために黙殺して逃げている。

  「塩素酸塩類の付着の有無とその種類」、つまり塩素酸ナトリウムか塩素酸カリウムかという鑑定嘱託書を作成したのは高山たちである。高山が混合火薬について十分な知識を有していることは自明のことである。 

  1審で本件爆発物の構造について証言した中島富士雄は、昭和46年の道庁赤レンガ爆破事件、47年10月の北大文学部のアイヌ資料館爆破事件、同年同月の旭川の風雪の像爆破事件について鑑定を行ったと証言した(7回5頁)。

  中島は11回公判では、資料として腹腹時計、栄養分析表、ビタミン療法、「それから本庁の方から出ております、過去の時限爆弾に関する資料」を参考にして鑑定をしたと証言している(11回69頁)。

  高山たちが「腹腹時計」や「バラの詩」や「栄養分析表」あるいは、本庁からの爆弾事件関係の資料を研究し修得していることは明らかである。前記道内の爆弾事件の火薬についても十分学習し認識している。

  「腹腹時計」(2審検104,105)の15頁には、「除草剤(塩素酸ナトリウム−NaClO3)」、「黒色火薬(塩素酸カリウム、塩素酸ナトリウム、硝石等の主剤=75%・・・)」、「詳しい製造法についてはバラの詩等に詳しく書かれているので」と記述されている。高山が塩素酸塩類には塩素酸ナトリウムと塩素酸カリウムの2つがあることを認識していることは疑いがないというところである。

  「バラの詩」(2審検106)にも塩素酸として、「塩素酸カリ(KClO3)」と「塩素酸ソーダ(NaClO3)」が明記されている。

  「判例時報」(2審検98)の30頁には、昭和47年10月の北大文学部のアイヌ資料館爆破事件の火薬について、「塩素酸ナトリウム約60パーセント、砂糖約30パーセント、硫黄約10パーセントの混合爆薬まであった」こと、同年同月の旭川の風雪の像爆破事件は、「塩素酸ナトリウム約70パーセント、砂糖約20パーセント、硫黄約10パーセントで混合した火薬と、塩素酸カリウム約50パーセント、砂糖及び黄血塩各約25パーセントで混合した火薬の両方を詰めてものである」ことが述べられている。高山は警察庁からこうした資料を提供されて研究し修得していたのである。

  だから新通信用紙が、本当に存在していたならば、高山捜査報告書には、「敷物、布から塩素酸ナトリウム=除草剤付着の反応があった」と必ず記載されることになる。しかしそうではないから、新通信用紙は8月8日には存在していなかったのである。山平鑑定の不存在は証明されている。原決定の誤りは明白である。

  E言うまでもなく、Cで原決定が援用した高山証言は下手な偽証である。

  
4, 竹之内鑑定(再弁17,18)でも山平鑑定の不存在は明らか

 (1) 山平氏は8月8日、実際にはビニールシート、カーテン等の鑑定を行っていない。

 (2) 山平氏はたしかに10ml位に濃縮する時の容器について、明示的に証言しているところはない。だが弁護人の補充書(七)の32〜33頁の山平証言を読めば、200ml用ビーカーのままで10ml位まで濃縮したとの趣旨で証言していると受け取るほかない。

 (3) つまり山平氏は、山平鑑定が不存在であることをなんとか間接的に明らかにしようと考えているわけであるから、どうしても本来の方法からはずれた方法で鑑定をしたと受けとめられるような証言になっていくわけである。本来の方法とは、蒸発皿に小分けして濃縮していく方法である。しかし上記のようであるから、山平氏はビーカーのままで濃縮していったと受け取るしかないような証言の仕方をしたのであった。そうすることで、信用性に疑いが持たれることを期待したのだといえる。

 (4) なによりも山平氏は「10mlぐらいの溶液でしたら1時間か1時間半くらいで濃縮されると思いますけれども。」(23回52頁)と証言している。1時間としても、この濃縮スピードは、蒸発皿で濃縮したときのスピードに比べて6.18倍から15.16倍も遅く、200ml用のビーカーで濃縮したスピードに比べても2.61倍から2.91倍も遅いのである。蒸発皿で濃縮したとの趣旨ではないことは明明白白であるし、ビーカーのままで濃縮したのでもないことも明白である。つまり、山平氏はこのように証言することで、間接的に山平鑑定の不存在を訴えたのであった。

  私は平成18年10月30日付意見書の第1の2の(2)(6〜8頁)、平成19年1月18日付意見書の第2の1の(6)(21〜22頁)でこのことを主張した。弁護人の補充書では言われていない主張である。このスピード方法だと、たとえ水溶液量が175mlであっても、10mlに濃縮するのに、18時間以上かかることになり、翌日になってしまい、8日中の中間報告は不可能である。

 (5) 原決定は私の二つの意見書を粉砕することが出来ないために、黙殺することにしたのである。検察官と全く同じ姿勢であり、裁判官失格である。日本の裁判官がこんなであることが哀しい。

 (6) (2)(3)(4)より、山平氏が確定審において蒸発皿ではなく、200ml用ビーカーのままで濃縮していったとの趣旨で証言していたことは明らかである。そして竹之内鑑定は200ml用ビーカーのままで濃縮した場合、2時30分の中間報告は時間的に不可能であることを明らかにしたのである。山平氏の「架空の鑑定」も時間的に成立しないことを明らかにしたのであった。

 (7) (4)である以上、竹之内鑑定を持ち出すまでもなく、山平鑑定の不存在は証明されている。鑑定人自らがその旨を(間接的に)証言しているのである。
 

5, 写真撮影報告書で山平鑑定の不存在は明らか

 (1) ビニールシートは「8月7日領置」の用紙と一緒に写されている。この意味は「8月7日領置時のビニールシートの状態と写した写真」ということである。もしビニールシートの一部が切り取られていたら、この写真は8月7日領置時の写真ではないことになる。つまりこの報告書の写真によって、ビニールシートは8月8日午後9時の時点で切り取られていないことが証明されているのである。従って、ビニールシートを切り取ったとの山平旧証言の虚偽が証明されるのである。

  ビニールシートの切り取りは、鑑定作業の核心を構成しているものであるから、山平鑑定の不存在が明らかになるのである(山平氏は新証言でビニールシートを切断していない真実を証言した)。

  私は以上の主張を、平成18年10月30日付意見書の第1の4の(5)(11〜12頁)、平成19年1月18日付意見書の第2の1の(3)(18〜19頁)で展開した。弁護人の補充書ではなされていない主張である。

 (2) 原決定はこの決定的な私の主張をまたもや黙殺した上で、弁護人の主張は採用できないと判示したのである。悪意に満ちた詭弁であり、裁判とは言えない。良心はどこへ行ってしまったのか。知に対する畏敬の念を喪失し、あらかじめ決められた結論を導き出すために、非論理的な主張を展開するのは裁判官が厳に戒めなければならないことである。そのような裁判官によって、日本の裁判制度の信頼性や権威は蝕まれてゆく。

  私は祖国日本を立派な国にしたいと思い、日々活動している。全体主義の侵略国のロシア、中国、北朝鮮の侵略(武力を用いるだけが侵略ではない。情報思想戦という平時の侵略戦争が進行中である。北朝鮮には同胞が少なくとも百名以上拉致されたままである)から日本(と国民)の安全と独立を守ることは、立派な国の最低の条件である。

  私はそのために。良心に従い、祖国とその法(ロ−)に忠誠を尽くして、既存の誤った権威、誤った思想、誤った政策を厳しく批判して活動してきた。もちろん左翼(共産主義勢力、アナーキスト)、「右翼」、ロシア、中国、北朝鮮などの全体主義侵略国を非難してたたかってきた。小冊子を発行し、インターネットで文を公表してきた。自分を誤魔化すことなく、自らにこそ厳しく在り、論理性を重視してきた。論理性に誤りや欠陥がある主張は、「ため」にする主張であり、嘘の主張であることを私は熟知している。

  原決定もその典型のひとつである。恥ずかしくないのであろうか。

  もしも私の意見書の主張が社会に広く宣伝されて、有識者をはじめとして国民の多くが知るところとなっていたとすれば、裁判所はこのような判示をしたであろうか。密室ゆえの行為である。
  

6, 32点は指紋検出が先であり山平鑑定の不存在は明らか

 (1) 再弁1に新規性はないとされたが、これは弁護人に譲ることにして、2,3,4,5の新証拠により、これらの旧証拠の再評価が要請されてくるので、ここで改めてそれを行い、原決定の判示の不当性と誤りを証明することにする。

 (2) 原決定は、本件鑑定資料は私が投棄したところを警察官が現認していて私との結び付きは明白であるから、指紋検出よりも付着物の鑑定を優先させたということは十分に考えられると判示している(64頁)。

  原決定はまたしても弁護人の主張にはない私の意見書10月30日付の第1の3の(3)(8頁)、意見書1月18日付の第2の1の(2)(18頁)の主張を黙殺した。

  本件爆破事件では複数犯が想定されていた。過去の連続企業爆破事件等でも複数犯であったからである。

  捜査機関は道庁の現場や声明文が入れられていたコインロッカーから、氏名不詳の複数の指紋を採取している(1審関連証拠)。私がそのダンボール箱を投棄したとしても、捜査機関は当然のこととして私の共犯の存在を考えることになる。もし投棄物から私以外の指紋が検出されて、それが先の  遺留指紋と一致すれば、その人物も私も道庁爆破の犯人と断定されることになるのである。捜査機関が指紋検出のチャンスをみすみす自ら喪失させる愚を犯すことはあり得ない。指紋検出後でも鑑定は可能だからなおさらである。

  原裁判所は上述の主張を展開した私の意見書を意識的に黙殺したのである。原裁判所自身が自らの論理(主張)が欠陥を持つものであることを自覚している。誤りであることを自覚している。だが確定判決を維持するためには、私の主張は無視するしかなかったのである。こんなのは公正な裁判ではない。社会の多くの人々に情報が共有化されていたとすれば、衆人環視の中でも原裁判所はこの決定の判示をすることができたであろうか。

 (3) 原決定は、別紙(3)投棄物関係一覧表の物件2は、同日付で指紋検出照合依頼と塩素酸塩類の付着についての鑑定も嘱託されたが、このうちの46点(ハンダこて、接着剤、乾電池、テスター等)は、先に鑑定がなされて、その後に指紋検出がなされていることを指摘して、だから本件鑑定資料の37点についても、まず先に37点の鑑定がなされて、その後に指紋検出がなされたといえると判示している(64頁)。批判しよう。

  本件鑑定資料37点は「物件2」とは全く異なっている。8月8日付で鑑定嘱託された37点のうち、ビニールシート、カーテンを含む32点は同じ8月8日付で指紋検出照合依頼がなされている。だが、綱かご3点、軍手と木炭末の計5点は指紋検出照合依頼から除外されているのである。

  わざわざ5点を除外した意味は、5点については先に鑑定をしなさいということであり、従って残りの32点は指紋検出を先にしなさいということになるのである。石原啓次の捜査方針である。5点は石原や高山たちが最も火薬が付着している可能性が高いと考えたものであろう。

  私は意見書で、5点が除外されたことが意味することについて強調している。10月30日付意見書の9頁の(6)、1月18日付意見書の17〜18頁の(2)である。だが原裁判所は反論できないためにまたしても黙殺を決め込んだのであった。

 (4) 原決定の判示は不当極まりないものであり、もちろん誤っている。8月8日に来た鑑定資料は軍手、綱かご3個、木炭末の5点のみであり、鑑定したのは本実氏である。山平氏は本氏の下で非枢要部分の手伝いをしただけだと認められる。従って山平鑑定は不存在である。

 (5) なお原決定が指摘する「物件2」のうち46点が、8月9日から10日にかけてまず本実氏らによって鑑定された理由は、8月8日に本実氏によって鑑定された5点に除草剤の付着がないことが判明し、8月9日の朝早くから残りの32点について、指紋検出を終えたものから鑑定を実施していったものの、やはり除草剤の付着がないことが判ったために、私の身柄を確保するために(私はアパートを引き払い本州へ逃走しようとしていたので)、46点については急きょ、指紋検出よりも鑑定を優先することになったためだと思われる。私は8月9日東区役所へ転出届けを出している。尾行した警察官が把握している。
  

7, 原通信用紙(検173)は偽造である

   原決定は不当な論理で退けているので批判する。

 (1) 新通信用紙が8月8日に存在していなかったことは明白になっているから、原通信用紙も8月8日には存在していなかった。後日において偽造されたのである。

 (2) ポリバケツに関して

  @鑑定資料でない物が資料として、紛れ込むことはあり得ない。

  A8月8日に来た資料は5点だけであった。わざわざ5点を除外したのであるから、「ポリバケツ」が紛れ込むことは絶対にない。入れば6点になってしまう。8月9日になれば鑑定嘱託書の準備は当然出来ていて、資料とともに嘱託書も来たのである。

  Bポリバケツを原通信用紙に記入したのは山平氏である。その理由は、原通信用紙の信用性を否定し、それが捏造されたものであることを明らかにするためである。原決定は「山平鑑定〔水溶液分析〕」の存在を電話通信用紙によって偽装したというのであれば、あえて本件鑑定書の鑑定資料にもなっていない物件を同用紙に記載する必要はないし、偽装するに当たってそうしたミスを犯すとも考えられない。」(55頁)と判示しているが、なにをピントはずれのことを述べているのだろうか。

  原決定はここでも私の意見書10月30日付第2の3(26頁以下)と1月18日付第2の2の(2)(31頁以下)を完全に黙殺している。

  C山平氏は新証言で、ポリバケツないしポリ容器について「ふたがあったんですけど」(137頁)と証言しており、ふたのないポリ容器ではないことをほのめかした。つまり原決定が想定するピンクのポリ容器が紛れ込んだことを否定しているのである。原決定はこの新証言も黙殺している。

  D山平氏は23回公判において、原通信用紙のポリバケツに関して、アルミ粉末が一面に付着していたとは述べていないし、用紙の別紙欄にも「アルミ粉末ようのものあり」といった記載もない。「炭の粉、又は炭素末ようのものあり」とは記載されているから、アルミ粉末ようのものが付着していなかったことは明らかというべきである。つまりピンクポリ容器ではないのである。

  E山平新証言では、ポリバケツないしポリ容器には、アルミ粉末は「出てきてません。」(139頁)とはっきりと証言されている。ピンクポリ容器ではないという証言である。

  Fポリ容器以外に8月8日時点で、「ポリバケツ」と表記されるような物件は捜査機関にはない。山平氏はポリバケツを原通信用紙の冒頭に敢えて記載することで、道警幹部の証拠の捏造に抗したのである。時間が経過していたために、証拠関係の知識が薄れており、幹部はチェックすることができなかったわけである。山平氏が8月19日に二宮方から領置されたポリバケツを想定して、記載したことは明らかだと言うべきであろう。

 (3) 中間報告先について

  @原通信用紙によれば、8月8日午後2時30分に高山へ中間報告したことになっている。高山は中島分庁舎にいたのであった。

  A山平氏は控訴審においては自分と同じ道警本部庁舎の警備の係員に中間報告したと証言した。断固として、中島分庁舎の高山へ中間報告したとは証言しなかったのである。その理由は、「中間報告先」において矛盾をつくりだして、原通信用紙の信用性を否定し、これが偽造物であることを明らかにしたいと考えていたからである。

  山平氏が作成したのであるから(命令されて嫌々作成した)、相手が高山であること、中島分庁舎にいたことは熟知している。だから山平氏は、証言しようと思えば自由に、「中島分庁舎の高山という人に中間報告しました」と証言できたのである。しかし山平氏は絶対にそうしなかった。証拠の捏造は決して許さないとの強い意志をここに見てとることができる。これによって、原通信用紙が虚偽であることは疑いを容れる余地なく明らかになったといえよう。

  B原決定は山平氏が同じ道警本部庁舎の警備の係員に中間報告したと証言したことを、「電話による報告のことでもあり、控訴審証言までの年月を考えれば、山平が記憶違いをしたとしてもおかしくはない。」(57頁)と判示したが、恣意的な判示であることは明白である。原通信用紙を示されて尋問を受けた23回公判においても、山平氏は「電話回答というのは一応電話で回答するんですけれども、同じ庁舎ですからそれを見に来ることもありますけれども、どういうふうになったということは今ちょっと記憶にありません。」(23回50頁)と証言して、同じ庁舎内へ電話報告したことを強調して、原通信用紙が虚偽であることを明らかにしようとしていたのである。それは高山証言も虚偽だという意味でもある。

  C山平氏は新証言においては、同じ庁舎の3階の警備課へ電話報告し、そのすぐ後に原通信用紙を写して3階へ持っていった。それは電話だけでは判らないと考えたからだ(104頁)と証言することで、改めて中島分庁舎の高山へ中間報告したことはないことを訴えたのであった。原通信用紙と高山証言が虚偽であることを主張したのであった。

  Dもちろん山平氏は8月8日に鑑定を実施していない。だからどこであれ中間報告はしていないし、もちろん8月8日に原通信用紙を作成したこともない。だからその日にそれをもう一回写して3階へ持参したという事実もない。

  だが山平氏はこれらをストレートに証言することはできないのである。もしそれをすれば、偽証罪でデッチ上げ逮捕されてしまうおそれが強くあるからだ。そのために山平氏は、様々に工夫した嘘の証言をあえてすることによって、原通信用紙と高山証言が虚偽であること、従って山平鑑定も虚偽であって、不存在であることを訴えて来たのである。

  私の意見書は、これらの真実をつきとめて明らかにすることに成功した。だからこそ原決定は黙殺したのである。

 (4) 原決定は10月30日付意見書の第2の3の(2)(27頁)、(3)(28頁)、(5)(30頁)、(6)(30頁)についても黙殺している。1月18日付意見書(2)(31頁)、とりわけその中のC(32頁)を黙殺した。

  時間が無くなってきたので、具体的な批判は割愛する。


8, 鑑定資料番号が付いてなければ鑑定を実施できない

  原決定は私の意見書10月30日付の第2の4の(2)(34頁)、1月18日付意見書の第2の1の(4)(19頁)も黙殺した。反論できないために切り捨てたのである。こんなに重要な山平旧証言について、検討をしない裁判とは一体何であろうか。


9, 微量のNaClと微量のKClO3の混和物でも同じ反応になるとの山平旧証言について

 (1) 私は平成19年1月18日付意見書の第2の1の(8)(23頁以下)で、山平氏は上記のように証言することで、原通信用紙の「敷物、布」欄の記載が全く信用できないこと、それは捏造であることを主張したのであると述べた。これは化学的に全く正しい。原通信用紙が捏造されたものであるということは、それを山平氏自らが主張しているのであるが、山平鑑定も不存在であるということである。

 (2) 原決定は79頁の上部で、「請求人も、山平の旧証言の細部をとらえて論難するが、・・・これらについても同様である。」と判示している。「細部」であろう筈はない。まさに核心的な証言である。なお、この原決定は具体的に私の主張を批判できていない。批判できないから、結論的なことだけを書いて、誤魔化して、逃げているのである。


10, 再審理由の存在

  刑事訴訟法435条の1号、2号、6号の各号の再審理由が存在することは明白であるから、原決定を取り消し、再審を開始するとの決定を求めるものである。

  

   (時間が足りず、全部の点について批判を展開することはできなかった。後日補充書を提出することを考えたい。)

以上


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 北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)